池江璃花子の白血病はなぜ治った?5つの理由と完全寛解の今!

池江璃花子の白血病はなぜ治った?5つの理由と完全寛解の今!

池江璃花子さんの白血病がなぜ治ったのか。答えを先に書くと、化学療法と造血幹細胞移植という標準治療がきちんと効いたからです。

奇跡でも特別な民間療法でもありません。ただ、そこには「18歳だったこと」という、あまり語られてこなかった大きな要素もあるんです。

  • 完全寛解を迎えた正確な日と、そこに至るまでの治療の中身
  • 骨髄移植のドナーや病院について、分かっていることと分かっていないこと
  • 完全寛解と完治は何が違うのか、そして2026年の池江さんの現在
項目 内容
名前 池江璃花子(いけえ りかこ)
生年月日 2000年7月4日
年齢 26歳(2026年9月時点)
出身地 東京都江戸川区
身長 172cm
所属 横浜ゴム(クラブはルネサンス)
学歴 淑徳巣鴨高校、日本大学スポーツ科学部
主な種目 50m・100mバタフライ、50m・100m自由形
日本記録 個人11種目・リレー6種目の計17種目を保持
病名 急性リンパ性白血病(2019年2月12日に公表)
完全寛解 2024年9月25日に本人が報告
池江璃花子さんの基本プロフィール
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目次

池江璃花子の白血病がなぜ治ったのか

治った理由は3つに整理できます。標準治療がはまったこと、移植に切り替える判断ができたこと、そして発症時の年齢が18歳だったことです。

どれも本人の報告や公的な資料でたどれる話なんですよ。

2023年の日本選手権で50mバタフライ決勝に臨む池江璃花子さん
出典:ウィキメディア・コモンズ(撮影:江戸村のとくぞう/CC BY-SA 4.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rikako_Ikee_20230408a.jpg

完全寛解を迎えたのは移植から5年後

池江さんは2024年9月25日、自身のインスタグラムで「移植後5年が経ち、本日完全寛解を迎えました!」と報告しました。

2019年2月に病名を公表してから、5年7か月が経った日のことでした。

同じ投稿で、こうもつづっています。「退院してからの生活は想像以上に大変で、退院後も別の大きな病気をしたり、精神的にも苦しかった時期もありました」。

「元気な自分でいると病気であったことを忘れる事も多かったです」とも書いていて、退院=ゴールではなかったことが伝わってきますよね。

「今でもとても長い5年間だったなと感じています」という一文が、この5年の重さをそのまま表しているように思えます。

ここで見逃せないのが「移植後5年」という言い方なんです。

池江さんの移植の実施日は公表されていません。ですが本人が2024年9月25日に「移植後5年」と書いた以上、移植は2019年9月下旬前後だったと考えるのが自然です。

退院が2019年12月17日ですから、移植からおよそ3か月で退院にこぎ着けた計算になりますね。

治った理由は化学療法と移植の二段構え

急性リンパ性白血病の治療の土台は、抗がん剤による化学療法。

大きく3つの段階に分かれていて、目的がそれぞれ違うんです。

段階 目的 主な内容
寛解導入療法 白血病細胞を一気に減らし、顕微鏡で見えない状態にする 複数の抗がん剤を組み合わせて集中的に投与
地固め療法 目に見えない残りの細胞をたたく 大量シタラビン療法や大量メトトレキサート療法など
維持療法 再発を防ぐ 1〜2年かけて弱めの薬を続ける
同種造血幹細胞移植 再発リスクが高い場合に治癒を目指す 前処置で骨髄を空にし、ドナーの造血幹細胞を入れる
急性リンパ性白血病の治療の流れ(一般的なもの)

地固め療法で大量のメトトレキサートを使うのは、白血病細胞が脳や脊髄に逃げ込むのを防ぐためでもあるんですよ。

それでも体の中に0.01%以上の白血病細胞が残っていると、再発しやすいことが分かっています。この残り具合を微小残存病変と呼びます。

池江さんの場合、最初は化学療法で治すつもりだったのに、途中で移植へ舵を切ることになったんですよね。

そして移植が効くのは、骨髄を新しくするからだけではないんです。

ドナーのリンパ球が、患者さんの体に残った白血病細胞を敵とみなして攻撃してくれます。これを移植片対白血病効果、略してGVL効果と呼びます。

日本造血・免疫細胞療法学会の説明によると、軽いGVHD(移植片対宿主病)が起きた人ほど白血病の再発が少ないことが知られています。

つまり、副作用として嫌われるGVHDと、治癒をもたらすGVL効果は表裏一体。免疫抑制剤で抑え込みすぎると、治す力まで消してしまうという難しさがあるんですね。

移植が「最後の手段」と言われる一方で「治癒を狙える手段」でもあるのは、この仕組みがあるからなんです。

移植は最初からの計画ではなかった

ここは多くの記事が飛ばしているところです。

池江さんの移植は、はじめから決まっていたものではありませんでした。

2019年12月17日の公式サイトの退院報告に、はっきり書かれています。「合併症を併発したため化学療法の継続が困難となり造血幹細胞移植を行いました」。

読み替えると、抗がん剤で治しきるつもりだったのに、体が持たなくなって方針を変えた、ということです。

この合併症が具体的に何だったのかは公表されていません。

ただ、移植の前処置は強烈です。国立がん研究センターの情報によると、抗がん剤と全身放射線照射を組み合わせるため、通常の化学療法より重い副作用が出ることがあります。

時期 主な負担
前処置 口内炎、下痢、吐き気、脱毛が強く出る
移植直後 白血球がほぼゼロになり、無菌室で過ごす
生着まで 感染症・出血のリスクが高く、輸血を繰り返す
生着後 急性GVHD(皮膚・肝臓・腸に症状)が出ることがある
数か月〜 慢性GVHD、心臓や肝臓・腎臓の機能低下など
造血幹細胞移植でよく問題になる負担(一般的なもの)

体力が落ちきった状態でこれを乗り越えるのは、簡単なことではないでしょう。

「移植したから治った」で片づけると、この決断の重さが抜け落ちてしまうんですよね。

2023年の日本選手権50m自由形決勝での池江璃花子さん
出典:ウィキメディア・コモンズ(撮影:江戸村のとくぞう/CC BY-SA 4.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rikako_Ikee_20230409c.jpg

18歳という年齢が生存率を大きく変えた

ここが一番大きい要因かもしれません。

池江さんが発症したのは18歳。医療の世界でAYA世代と呼ばれる、15歳から39歳のゾーンですね。

そして急性リンパ性白血病は、この年代の患者さんにどの治療法を選ぶかで成績が大きく変わる病気なんです。

治療の型 5年生存率の目安
小児型のレジメン(AYA世代に適用) 60〜70%
従来の成人型レジメン およそ30%
15〜25歳を対象とした近年の試験 73%という報告も
AYA世代の急性リンパ性白血病における治療成績(臨床血液などの報告より)

同じ病気、同じ年齢でも、選ぶ治療の型が違うだけで倍以上の差がつく。かなり衝撃的な数字ですよね。

なぜ小児型のほうが成績がいいのか。理由ははっきりしていて、次の3つでしょう。

  • ビンクリスチン、L-アスパラギナーゼ、ステロイドの投与量が成人型より多い
  • メトトレキサートを脊髄に直接入れる回数が多く、中枢神経の再発を防げる
  • リスクに応じて治療の強さを細かく変えている

要するに、若い体力があるからこそ耐えられる強い治療を、しっかり打ち込めるということなんですよね。

池江さんはトップアスリートですから、同世代のなかでも心肺機能や筋量は際立っていたはず。

その体が、強い治療に耐える土台になったのでしょう。

「なぜ治ったのか」という問いへの、もっとも医学的な答えがここにあるのかもしれません。

逆に言えば、同じ病気でも年齢が上がるほど戦いは厳しくなるわけですね。

60代、70代で発症すれば、強い治療そのものに体が耐えられません。移植も適応が限られてきます。

池江さんが「治った」のは意志の強さだけが理由ではない。そこは冷静に見ておきたいところです。

もちろん、10か月の入院と過酷な治療を投げ出さなかった本人の粘りがなければ、この結果はありませんでした。医学的な条件と本人の踏ん張り、その両方がそろったということでしょう。

骨髄移植のドナーは誰で病院はどこなのか

結論から言うと、どちらも公表されていないんですよ。

ネット上では「ドナーは兄」と断定する記事がいくつも出回っていますが、池江さん本人も所属先も、ドナーの素性を明かしたことは一度もないんです。

そもそも、池江さんが公表したのは「造血幹細胞移植」という言葉でした。「骨髄移植」とは書いていません。

この2つ、同じものだと思われがちですが正確には違います。造血幹細胞移植という大きな枠のなかに、3つのやり方があるんです。

種類 採り方と特徴
骨髄移植 全身麻酔をして腰の骨から骨髄液を採る。ドナーは3〜4泊の入院が必要
末梢血幹細胞移植 薬で幹細胞を血液中に出し、腕の静脈から採る。造血の回復が1週間ほど早い
臍帯血移植 出産時のへその緒と胎盤の血液を凍結保存して使う。GVHDが起こりにくい
造血幹細胞移植の3つの種類

池江さんがこのうちどれを受けたのかは、公表されていません。

つまり「骨髄移植のドナーは兄」と書いている記事は、移植の種類とドナーの両方を推測で埋めているわけです。

池江さんに兄と姉がいるのは事実で、そこから「きょうだいだろう」という推測が広がりました。ただ、あくまで推測にとどまります。

HLAという白血球の型が合わないと移植はできません。一致する確率の目安がこちら。

相手 HLAが完全に一致する確率
きょうだい1人あたり 4分の1(およそ25%)
親子 きわめて低い
血縁のない他人 数百分の1から数万分の1
HLA型が一致する確率の目安

よく「きょうだいなら30%」と書かれますが、これは家族に複数のきょうだいがいる場合に誰か1人でも合う確率を指しています。1人あたりで見れば4分の1です。

この違いを混ぜて書いている記事が多いので、注意したいところ。

病院についても同じです。都内の大きな病院に転院したと当時報じられましたが、病院名は伏せられたままでした。

池江さんの公表が動かしたのは、競泳界だけではありませんでした。骨髄バンクの登録者数が跳ね上がったんですよ。

時期 できごと・数字
2019年2月 新規ドナー登録が11,662人。月間で初めて1万人を突破
2019年通年 新規登録者が前年のおよそ1.7倍に
2020年以降 コロナ禍で登録会が開けず、新規登録が激減
2024年度 新規登録35,828人
2025年度 新規登録30,455人
2026年1月末 ドナー登録者数は565,402人
日本骨髄バンクのドナー登録の推移(日本骨髄バンク公表資料より)

数字を並べると、2019年の跳ね上がり方がよく分かります。一人の公表がこれだけ人を動かしたわけです。

ただ、いまは別の課題が出ています。登録者の半数以上が40〜50代で、若い登録者が足りていないんです。

骨髄の提供には3〜4泊の入院と平日の通院が必要で、仕事を休めずに辞退する人も少なくありません。登録が増えても提供までたどり着かない、という壁ですね。

日本骨髄バンクが年齢に線を引いているのには、はっきりした理由があるんですよ。

項目 条件
ドナー登録 18歳以上54歳以下
実際の提供 20歳以上55歳まで
体重 男性45kg以上、女性40kg以上
健康状態 良好であること
骨髄バンクのドナー登録の条件(日本骨髄バンクより)

バンク側は、移植の成績がドナーの年齢に大きく左右されると説明しています。医療現場が若いドナーを求めるのは、そのためなんですね。

登録者の年齢構成が上がっていることは、そのまま将来の移植成績に響く話でもあります。池江さんの公表から7年、いま改めて考えたいところでしょう。

早期発見だから治ったという説明は当てはまらない

「早期発見できたから治った」と書いている記事をよく見かけます。でも、これは急性白血病にはあまり当てはまらない説明なんです。

急性白血病は、がん検診で見つけられる病気ではありません。症状が出て初めて分かるタイプの病気なんですよ。

しかも初期症状は、だるさ・発熱・息切れといった風邪に似たものばかり。区別がつかず、見過ごされることも多いのが実情でしょう。

原因もはっきり分かっていません。生活習慣が原因で起きる病気ではなく、誰にでも起こりうるとされているんですよね。

池江さんが2019年1月の取材で「疲れが取れない、体がだるい」と話していたのは事実です。ただ、それを早期発見と呼ぶのは無理があります。

むしろ評価すべきは、合宿を切り上げて帰国し、すぐに検査を受けた判断のほうかもしれませんね。

もうひとつ、よくある勘違いにも触れておきましょう。

池江さんの病名を「骨髄異形成症候群」だと思っている人がいますが、これは別の病気です。

骨髄異形成症候群は血液を作る細胞がうまく育たなくなる病気で、白血病に移行することもありますが、池江さんが公表した病名は急性リンパ性白血病でした。

池江璃花子の闘病から2026年の現在まで

公表から7年半。池江さんは3つのオリンピックを経験し、いまも第一線で泳いでいます。

あの日から何が起きてきたのでしょうか。

体のだるさから公表までの経緯と症状

きっかけは2019年1月の違和感でした。

発症した時点で、池江さんはすでにアジアのトップでした。

主な実績
2016年 リオデジャネイロ五輪に16歳で出場、7種目にエントリー
2017年 日本選手権で女子史上初の5冠
2018年 アジア大会(ジャカルタ)で6冠、大会MVPに選ばれる
2018年 100mバタフライで56秒08の日本記録を樹立
白血病の公表前、池江璃花子さんが残していた実績

18歳にして、アジアの頂点に立っていた選手でした。だからこそ公表の衝撃も大きかったわけです。

取材に「疲れが取れない、体がだるい」と答えていて、当時は合宿疲れだと思われていたようです。

2月7日、オーストラリアでの合宿を体調不良で切り上げて帰国。検査の結果、急性リンパ性白血病と診断されました。

2月12日、自身のSNSで病名を公表します。18歳でした。

日付 できごと
2019年1月 取材で「疲れが取れない、体がだるい」と語る
2019年2月7日 オーストラリア合宿を体調不良で切り上げ帰国
2019年2月12日 SNSで急性リンパ性白血病と診断されたことを公表
2019年3月 抗がん剤治療の苦しさをSNSで吐露
2019年4月8日 闘病中のまま日本大学スポーツ科学部に入学
2019年6月 一時退院し、家族との時間を報告
2019年9月ごろ 造血幹細胞移植を実施(本人の「移植後5年」からの逆算)
2019年12月17日 退院を報告
2019年の池江璃花子さんの闘病の経緯

東京オリンピックまで1年半という時期でした。日本中が金メダルを期待していた選手の突然の公表に、衝撃が走ったのを覚えている方も多いでしょう。

10か月の入院で池江璃花子が語った本音

入院はおよそ10か月。数字にすると短く見えますが、当人にとっては途方もない長さだったでしょう。

2019年3月6日、池江さんはツイッターにこう投稿しています。「思ってたより、数十倍、数百倍数千倍しんどいです」。

続けて「3日間以上、ご飯も食べれていない日が続いています。でも負けたくない」とも書いていました。

抗がん剤の副作用で毎日のように吐き、食事もとれない日々。髪も抜けました。

抗がん剤を使うと、投与から2〜3週間ほどで髪が抜け始めるのが一般的なんですよ。

加えて白血球が減るため、感染症を防ぐ目的で無菌室に入る期間もありました。人と自由に会えない環境です。

生ものが食べられない、面会も制限される。想像するだけでも、10か月は長いですよね。

池江さんを支えたのは、母・美由紀さんでした。シングルマザーとして池江さんと兄・姉の3人を育てた人です。

美由紀さんはのちに、当時の娘の様子をこう語っています。「『死にたい』って、泣きわめいた。その時は正気じゃなかった」。

「病気を治してるんだけど、どんどん壊れていく」とも述べていて、治療の過酷さが家族の目にどう映っていたかが伝わってきます。

激しい頭痛と吐き気で食事がとれず、体重は18キロも落ちたと報じられました。172cmの体からの18キロですから、相当な減り方です。

美由紀さんは病室を出てから廊下で涙をこぼす日が続いたと明かしています。そのうえで、娘の前では明るくふるまうと決めたそうです。

この時期、池江さんが病室で「東京オリンピックまで499日。まだまだ諦めない」と口にしたことも伝えられています。

この頃の言葉は、いま読み返しても胸に迫るものがありますよね。

後年、当時を振り返って「一人で昔の映像を見て、涙が止まらなくなったことも」と語ってもいます。

トップアスリートとして最も伸びる時期を、ベッドの上で過ごしたわけですから当然かもしれません。

それでも4月には日本大学に入学し、学生としての生活も始めています。闘病しながらの入学でした。

退院後に出した著書のタイトルは「もう一度、泳ぐ。」。この5文字に、当時の気持ちが凝縮されている気がします。

白血病からの復帰後、2023年に日本選手権で泳ぐ池江璃花子さん
出典:ウィキメディア・コモンズ(撮影:江戸村のとくぞう/CC BY-SA 4.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rikako_Ikee_20230409m.jpg

復帰から2026年までの歩み

退院からわずか8か月で、池江さんは実戦に戻ってきました。

2020年3月にプールでの練習を再開し、8月29日の東京都特別水泳大会で50m自由形に出場。記録は26秒32でした。

そして2021年4月4日、日本選手権の100mバタフライを57秒77で制します。

レース後、涙ながらに語った言葉が有名です。「こんなにつらくてしんどいことは、努力は必ず報われるんだなと思いました」。

この大会では50m自由形、100m自由形、50mバタフライも制して4冠。東京オリンピックのリレー代表を勝ち取りました。

実はここに、思わぬ追い風もありました。

東京オリンピックは新型コロナの影響で1年延期され、2021年夏の開催になったんです。

当初の予定どおり2020年夏に開かれていたら、復帰レースが8月29日ですから、代表争いに間に合っていません。

延期はもちろん誰も望んだことではありませんでした。ただ結果として、池江さんに1年という時間を与えたのは確かでしょう。

本人も退院直後の2020年2月時点では、次の目標を2024年のパリオリンピックだと語っていました。東京は間に合わないと考えていたわけです。

時期 できごと・成績
2020年3月 プールでの練習を再開
2020年8月29日 東京都特別水泳大会50m自由形26秒32で実戦復帰
2021年2月7日 ジャパン・オープン50m自由形24秒91で復帰後初の表彰台
2021年4月4日 日本選手権100mバタフライ57秒77で優勝し4冠、東京五輪代表に
2021年8月1日 東京五輪女子400mメドレーリレー決勝8位(3分58秒12)
2023年 アジア大会(杭州)50mバタフライ銅、400mフリーリレー銀
2023年4月1日 横浜ゴム所属に
2024年3月 パリ五輪選考会100mバタフライ57秒30で派遣標準を突破
2024年8月 パリ五輪。女子400mメドレーリレー決勝5位(3分56秒17)
2024年9月25日 完全寛解を報告
2025年7〜8月 世界水泳シンガポール。50mバタフライ準決勝25秒67
2026年6月6日 日本選手権50mバタフライ25秒85で優勝、6連覇
2026年8月 パンパシフィック選手権。50mバタフライ6位、50m自由形8位
復帰後の池江璃花子さんの歩み

リオ、東京、パリと3大会連続でオリンピックに出場。白血病をはさんでこれを成し遂げた選手は、世界的に見てもほとんどいません。

一方で、記録面は正直に見ておく必要があります。

100mバタフライの日本記録56秒08は、発症前の2018年に18歳で出したもの。復帰後はまだ届いていないんです。

2026年6月の日本選手権では50mバタフライで6連覇を達成しました。ただ、25秒85というタイムは自己ベストの25秒11には及びません。

移植で体を一度作り直した以上、これは仕方のない部分でしょう。それでも日本の頂点に立ち続けているのは、驚くべきことです。

そして池江さんは、次の舞台をはっきり見据えています。

2028年のロサンゼルスオリンピックです。この大会から50mバタフライが正式種目に加わることが決まっているんです。

50mバタフライは池江さんの本命種目。日本選手権で6連覇している、もっとも強い種目でもあります。

これまでこの種目はオリンピックになく、100mや自由形で勝負するしかありませんでした。ようやく主戦場が用意されたわけですね。

池江さんはロサンゼルス大会を競技人生の集大成と位置づけ、それまでオーストラリアを拠点に練習する方針を明かしています。

実現すればリオ、東京、パリに続く4大会連続の出場。白血病をはさんでの4大会は、日本の競泳史でも例のない記録になります。

完全寛解と完治は同じではない

ここを混同している記事がとても多いので、はっきり分けておきます。

言葉 意味
寛解 検査で白血病細胞が見つからない状態。ただし体内に残っている可能性はある
完全寛解 顕微鏡による検査で白血病細胞が確認できない状態
分子生物学的完全寛解 遺伝子レベルの検査でも検出されない、より深い状態
治癒(完治) 治療終了後5年以上、再発せずに経過した状態
白血病でよく使われる言葉の違い

急性白血病の再発は、治療が終わってから3〜5年以内に起きやすいとされています。

だから医学の世界では、5年間なにもなく過ぎて初めて治癒とみなす、という考え方をするわけです。

池江さんが完全寛解を報告したのは2024年9月。移植からちょうど5年でした。

そこからさらに2年が経った2026年9月時点で、移植からはおよそ7年。医学的な「治癒」の目安を、すでに大きく超えていることになります。

それでも本人が「完治」という言葉を使っていない点は、覚えておきたいところですね。

移植を受けた体には、その後も付き合っていくことがあります。

たとえばワクチン。移植で免疫が入れ替わるため、子どもの頃に打った予防接種の効果は消えてしまうんです。

ワクチンの種類 再接種の目安
不活化ワクチン(四種混合、日本脳炎など) 移植後およそ6か月〜1年から
生ワクチン(麻しん風しん、水痘など) 移植後およそ2年以降
条件 慢性GVHDがなく、免疫抑制剤を使っていないこと
造血幹細胞移植後のワクチン再接種の目安(日本造血・免疫細胞療法学会の資料より)

池江さんが「退院後も別の大きな病気をしたり」と書いていたのも、この長い付き合いの一部だったのかもしれません。

その病名は公表されていないので、憶測で埋めるべきではないでしょう。

東京アクアティクスセンターでレースに臨む池江璃花子さん
出典:ウィキメディア・コモンズ(撮影:江戸村のとくぞう/CC BY-SA 4.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rikako_Ikee_20230409h.jpg

まとめ

  • 池江璃花子さんの病名は急性リンパ性白血病。2019年2月12日に18歳で公表した
  • 治った理由は、化学療法と造血幹細胞移植という標準治療がしっかり効いたこと
  • 移植は最初からの計画ではなく、合併症で化学療法を続けられなくなった末の方針転換だった
  • 発症時18歳というAYA世代だったため、生存率60〜70%が見込める小児型の強い治療を選べたことが大きい
  • ドナーと病院はどちらも公表されていない。「ドナーは兄」は推測にすぎない
  • 2024年9月25日に完全寛解を報告。2026年9月時点で移植から約7年が経過している

「なぜ治ったのか」への答えは、奇跡という言葉ではまとめられません。

適切な治療と、それに耐えられる年齢と体、そして移植へ切り替える判断。この3つが重なった結果でした。

よくある質問

Q1. 池江璃花子さんの白血病は完治したのですか?

A. 本人は2024年9月25日に「完全寛解」と報告しています。完全寛解は検査で白血病細胞が見つからない状態で、医学的な「治癒」とは言葉の意味が違います。ただし治療終了後5年以上が目安とされる治癒の条件は、時期としてはすでに超えています。

Q2. 池江璃花子さんは何歳で白血病になったのですか?

A. 18歳です。2000年7月4日生まれで、公表したのは2019年2月12日でした。

Q3. 骨髄移植のドナーは誰だったのですか?

A. 公表されていません。兄や姉ではないかという噂が広がっていますが、本人も所属先も明かしたことはないため、推測の域を出ないんです。

Q4. 治療を受けた病院はどこですか?

A. 病院名は公表されていません。都内の大きな病院に転院したと当時報じられましたが、名前は伏せられたままです。

Q5. 白血病の初期症状はどんなものですか?

A. だるさ、発熱、息切れ、あざができやすい、といった症状が知られています。風邪に似ていて区別しにくいのが特徴。がん検診では見つけられない病気とされています。

Q6. 急性リンパ性白血病の生存率はどのくらいですか?

A. 年代と治療の型で大きく変わります。AYA世代に小児型のレジメンを使った場合は5年生存率60〜70%、従来の成人型ではおよそ30%という報告があります。

Q7. 池江璃花子さんの闘病生活はどのくらいの期間でしたか?

A. 入院はおよそ10か月です。2019年2月に入院し、同年12月17日に退院を報告しました。

Q8. どんな治療方法だったのですか?

A. まず抗がん剤による化学療法を行い、合併症で継続が難しくなったため造血幹細胞移植に切り替えました。移植の前処置では抗がん剤と全身放射線照射が使われるのが一般的です。

Q9. 池江璃花子さんはいまも競技を続けていますか?

A. 続けています。2026年6月の日本選手権では50mバタフライで6連覇を果たし、8月のパンパシフィック選手権にも出場しました。

Q10. 骨髄異形成症候群だったという話は本当ですか?

A. 違います。骨髄異形成症候群は別の病気で、池江さんが公表した病名は急性リンパ性白血病でした。

Q11. 池江璃花子さんの白血病は再発する可能性がありますか?

A. 急性白血病の再発は治療終了後3〜5年以内に起きやすいとされます。池江さんは移植から約7年が経過していて、この時期をすでに越えています。

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