東ちづるの実家は広島の因島!父と母との確執とは?

東ちづるの実家は広島の因島!父と母との確執とは?

東ちづるさんの実家は、広島県の瀬戸内海に浮かぶ因島にあります。

造船所に勤める父と、会社員の母、2歳下の妹との4人家族でした。

この記事でわかること

  • 実家がある因島での暮らしと家族構成
  • 父の病気と、母との確執をどう乗り越えたか
  • 生い立ちが、いまの社会活動につながった道すじ
項目 内容
名前 東ちづる(あずま ちづる)
生年月日 1960年6月5日(66歳)
出身 広島県因島市(現在の尾道市因島)
身長 160cm
血液型 AB型
学歴 広島県立因島高等学校を経て関西外国語大学短期大学部
家族 父・母・2歳下の妹
堀川恭資さん(2003年に結婚)
現在 女優・タレント・一般社団法人Get in touch理事長
広島県因島出身の東ちづるさん
出典:ウィキメディア・コモンズ(撮影:厚生労働省/CC BY 4.0
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目次

東ちづるの実家と家族

実家があるのは、しまなみ海道で知られる因島です。

造船の島で育ち、習い事に囲まれた子供時代を送りました。

一方で、父の病気や母との関係に長く悩んできたことも公表しています。

実家は広島県の因島

【事実】東ちづるさんの実家は、広島県因島市にあります。

市町村合併により、現在は尾道市因島となっている場所。

瀬戸内海に浮かぶ島で、本州と四国を結ぶしまなみ海道の途中に位置しています。

海に囲まれ、山もある。自然と町が近い土地なんですよね。

この島を語るうえで欠かせないのが造船業。

古くから船を造る島として知られ、島の経済を支えてきた土地なんですよね。

【事実】東さんの父親も、その造船所に勤めていました。

島の主力産業で働く家庭で育ったことになります。

母親は会社員。共働きの家庭だったわけですね。

本人が語る子供時代の思い出に、屋根裏部屋の話があります。

そこを秘密基地にして、妹やいとこと遊んでいたそうです。

島の一軒家ならではの遊び方でしょう。

因島がどんな島なのかも、少し押さえておきたいところ。

尾道から南へ約17km、面積はおよそ40平方キロメートル。

人口は2万人ほどの島。

造船の歴史は明治期までさかのぼるもの。

国内でも早い時期に、近代的な造船所が置かれた場所でした。

第一次世界大戦の造船ブームを経て、戦後さらに発展しています。

東さんが子供だった1960年代から70年代は、まさにその成長期。

島全体が造船で動いていた時代ということになりますね。

造船所勤務というのは、当時の島では安定した仕事でした。

島の暮らしそのものが、造船の景気と結びついていたわけです。

同時に、働く人にとっては体力の要る現場でもあります。

鉄を扱い、大きな音のなかで作業する日々。

【推測:弱】仕事の疲れが、酒に向かった面もあったかもしれません。

もっとも、そこは本人が語っていない部分。

断定せずに、事実として公表されている範囲にとどめておきます。

歴史をさらにさかのぼると、村上水軍の拠点でもありました。

瀬戸内海を治めた三家のうち、因島村上氏の本拠地でした。

いまも因島水軍城が建ち、観光の目玉になっているんですよね。

現在はしまなみ海道が通り、向島や生口島と橋でつながっています。

年間40万人を超える観光客が訪れる島に。

東さんが育った頃とは、ずいぶん様子が変わったはずです。

橋が架かる前は、島を出るのに船が必要でした。

本州へ渡ること自体が、ひと仕事だった時代です。

そうした環境で18年を過ごし、短大進学で島を離れたわけですね。

島の外へ出る。その一歩の重みも、いまとは違ったはずです。

【推測:弱】受験に懸ける気持ちが強かったのも、そこと無関係ではないでしょう。

項目 内容
所在地 広島県因島市(現在の尾道市因島)
地理 瀬戸内海の島。しまなみ海道が通る
主な産業 造船業
父の仕事 造船所勤務
母の仕事 会社員
きょうだい 2歳下の妹

父はアルコール依存症だった

家庭の事情についても、本人が公の場で語ってきました。

【事実】父親がアルコール依存症だったことを、インタビューで明かしています。

ある日、突然吐血して救急車で運ばれたこともあったそう。

子供にとっては、忘れられない出来事だったはずですよね。

アルコール依存症は、意志の弱さの問題ではありません。

医学的に治療の対象となる病気として位置づけられているもの。

ただ、当時はそうした理解が広まっていない時代でした。

家族は病気そのものより、周囲の目に苦しむことも多いもの。

【推測:中】島という狭い社会では、なおさらだったでしょう。

こうした環境で育った経験が、のちの活動につながっていくわけですね。

生きづらさを抱えた人に向き合う姿勢の原点が、ここにありました。

依存症の家庭で育った子供は、役割を背負いやすいとされています。

親の代わりに家を回す、場の空気を保つ、問題を表に出さない。

そうした振る舞いが身についてしまうというものです。

東さんがのちに「いい人、やめた」と書いたのも、この文脈でしょう。

いい人でいることが、生き延びる方法だった時期があったわけですね。

本人が公表しているのは、あくまで事実の部分だけ。

父を非難する言い方は、こちらが確認した範囲では見当たりませんでした。

【推測:中】病気として理解している、ということだと思います。

【不明】父親の現在については、公表されていません。

そこを推し量るのは控えたいところですね。

母との確執といい人をやめた決断

実家をめぐる話で、本人が最も多く語ってきたのが母親との関係。

【事実】大学受験に失敗したとき、母から言葉をかけられました。

18年間の私の期待を裏切った、という趣旨の言葉だったと伝えられています。

この出来事をきっかけに、東さんは解離性障害の状態になりました。

高校時代の記憶を、ほとんど失ってしまったといいます。

期待に応えようとして、応えきれなかったときの反動。

10代の子供にとって、どれほど重かったか想像がつきませんよね。

解離性障害というのは、記憶や意識のつながりが途切れる症状の総称。

強いストレスから心を守るために起きるとされています。

つらい記憶ごと切り離してしまう、といった現れ方をするもの。

高校3年間の記憶が抜け落ちるというのは、相当なことです。

習い事に励み、漫画研究会で絵を描いていた日々。

その時間が、本人のなかから消えてしまったわけですよね。

母親を責めるだけでは、片づかない話でもあります。

娘に多くの習い事をさせ、進学を願った人でもあるのですから。

【推測:中】期待の強さが、そのまま言葉の強さになったのでしょう。

転機が訪れたのは37歳のとき。

親子関係を扱った本を読み、自分がアダルトチルドレンだと気づいたそうです。

アダルトチルドレンというのは、機能不全の家庭で育った人を指す言葉。

医学的な診断名ではなく、自分を理解するための枠組みとして使われるものです。

その後、東さんが選んだのはカウンセリングを受ける道でした。

そして、その経験を本にまとめています。

【事実】著書の題名は『〈私〉はなぜカウンセリングを受けたのか』。

副題に「いい人、やめた!」母と娘の挑戦とあります。

心理学者の長谷川博一さんとの共著として出版されたもの。

いい人をやめる。この一言に、それまでの重さが表れていますよね。

期待に応える役を降りると決めた、ということでしょう。

副題に「母と娘の挑戦」とある点も見逃せません。

母を切り捨てる話ではなく、2人で取り組む話として書かれているわけです。

絶縁という選択をする人もいます。

東さんが選んだのは、関係を作り直す道でした。

どちらが正しいという話ではありませんが、簡単な道ではないでしょう。

テレビで明るく振る舞う人が、こうした過去を持っている。

その落差に驚く読者も多いはずです。

ただ本人にしてみれば、隠すことでもないのでしょうね。

同じ悩みを抱えた人に届けば、という思いがあるのだと思います。

実際、この本は同じ立場の読者に読まれてきました。

自分の経験を、誰かの役に立つ形に変えている。

この姿勢が、のちの社会活動にもそのまま出ています。

実家をめぐって本人が公表していること

  • 実家は広島県因島。父は造船所勤務、母は会社員
  • 父がアルコール依存症だったこと
  • 受験の失敗をきっかけに解離性障害となり高校時代の記憶を失ったこと
  • 37歳でアダルトチルドレンだと気づいたこと
  • カウンセリングを受け、その経験を著書にまとめたこと

妹がいる4人家族

家族構成は、両親と2歳下の妹を含めた4人。

妹さんについては、詳しい情報が公表されていないんですよね。

【不明】職業も現在の様子も、明かされていない状況です。

本人が語るのは、子供時代の思い出のなかに登場する姿だけ。

屋根裏部屋での遊びに、いつも一緒にいた存在でした。

【推測:弱】一般の方として暮らしているのでしょう。

そこを詮索するのは控えたいところですね。

きょうだいがいたことは、当時の環境を考えると大きかったはず。

父の病気を抱えた家庭で、同じ立場を分かち合える相手がいたわけです。

屋根裏部屋という逃げ場も、2人だったからこそでしょう。

いとこも一緒に遊んでいたという話が出てきます。

島という土地柄、親戚が近くに住んでいたのだと思います。

そうした距離の近さも、この時代の島の暮らしらしいところ。

母親の名前は東英子さんと伝えられています。

厳しい母だった一方で、教育には熱心な人でもありました。

習い事の多さが、それを物語っていますよね。

共働きで、なおかつ子供の教育に力を注いでいたことになります。

夫が病気を抱えるなかで、家計と教育の両方を支えていたわけです。

【推測:中】母親自身も、相当な重圧のなかにいたのでしょう。

娘に強い言葉をかけてしまった背景も、そこにありそうです。

どちらか一方が悪い、という単純な図式ではないんですよね。

習い事づけだった子供時代

子供の頃の生活も、なかなか特徴的なもの。

【事実】日本舞踊、書道、そろばん、オルガン、英会話。

これだけの習い事を並行してこなしていたそう。

習い事 分野
日本舞踊 伝統芸能
書道 芸術
そろばん 計算
オルガン 音楽
英会話 語学

1960年代から70年代の島で、この数はかなり多いほうでしょう。

しかも英会話まで含まれているのが目を引きますよね。

当時の地方で、子供に英会話を習わせる家庭は少数派でした。

教室そのものが、そう多くなかった時代です。

母親がかなり先を見ていた、ということになりますね。

日本舞踊と書道は、所作や字を整えるためのもの。

そろばんは計算力、オルガンは音楽、英会話は語学。

並べてみると、教育の方向がはっきり分かれています。

【推測:弱】娘に幅広い力をつけさせたかったのでしょう。

その先に、教育大学への進学という願いがあったわけです。

【推測:中】母親の教育方針が、はっきり表れた形だと思います。

この経験は、あとになって生きてきます。

英語は短大時代のハワイ留学につながりました。

表現の素養も、女優の仕事の土台になったはずですよね。

ただ本人にとっては、期待の重さでもあったのでしょう。

習い事の多さと、受験時の言葉。この2つはつながっているのでしょう。

因島高校では漫画研究会に所属

【事実】高校は地元の広島県立因島高等学校です。

そこで所属していたのが、漫画研究会。

習い事に囲まれた生活のなかで、自分で選んだ活動だったのでしょう。

絵を描くことが好きだった、ということですよね。

この事実は、いまの活動を知る人には興味深いはず。

近年、東さんは自分で妖怪の絵を描いた本を出しているからです。

40年以上を経て、絵の世界に戻ってきたことになります。

卒業後は関西外国語大学短期大学部へ進んでいます。

国立の教育大学を志望していたものの、そちらは不合格。

その挫折が、先ほどの出来事につながりました。

短大の2年生のときには、ハワイ大学の寄宿舎に約1か月滞在しました。

英語を学ぶための短期留学でした。

子供の頃の英会話が、ここで実を結んだ形ですね。

ちなみに因島高校は、もうひとつ有名な出身者を出しています。

【事実】ロックバンドのポルノグラフィティです。

メンバーは因島の出身で、この高校時代のバンド活動が結成の前身になったそう。

東さんから見れば、ずっと後輩にあたる世代ですね。

人口2万人ほどの島の高校から、全国区の表現者が複数出ている。

なかなかないことだと思います。

東さんが漫画研究会、ポルノグラフィティが軽音楽。

分野は違っても、どちらも表現の部活動でした。

そういう活動が根づいている学校なのでしょうね。

島の高校は、生徒数もそう多くありません。

その規模で複数の有名人を出しているのは、確率としても目立ちます。

【推測:弱】島という環境が、表現へ向かう力を育てるのかもしれません。

外に出たいという気持ちが、強く働く土地でもあるでしょうから。

東ちづるの経歴と現在

短大を出たあとはソニーに入社し、会社員として働いていました。

芸能界に入ったのはアルバイトのつもりで、本格的な決断は25歳のとき。

いまは社会活動と俳優業を並行して続けています。

プロフィールと年表

1960年6月5日生まれで、2026年8月時点で66歳です。

時期 できごと
1960年6月5日 広島県因島市に生まれる
高校時代 広島県立因島高等学校の漫画研究会に所属
短大時代 ハワイ大学の寄宿舎に約1か月滞在
卒業後 ソニーに入社
25歳頃 芸能界での本格的な活動を決断
1997年頃 37歳でアダルトチルドレンだと気づく
2003年 堀川恭資さんと結婚。放送ウーマン賞を受賞
2012年 一般社団法人Get in touchを設立
2021年2月 初期の胃がんが見つかり手術

所属はホリプロ系列のプロダクション パオ。

会社員から芸能界へ、という経歴の持ち主なんですよね。

年表を眺めると、人生の折り返しで方向が変わったのが分かります。

前半は俳優としての活動が中心でした。

37歳での気づきを境に、発信する側の顔が強くなっていきます。

そして52歳でGet in touchを設立。

60代に入って、妖怪の本という新しい表現にも取り組みました。

年齢とともに、やることが減っていない人ですよね。

2021年には胃がんの手術も経験しています。

初期の段階で見つかり、摘出して回復しました。

本人が公表したことで、検診の大切さを伝える形にもなっています。

ソニー社員から女優への転身

経歴で意外なのが、最初の就職先。

【事実】短大卒業後、東さんはソニーに入社しています。

つまり会社員としてのキャリアが先にあったわけですね。

芸能界には、アルバイトのつもりで足を踏み入れたそう。

本格的に活動しようと決めたのは25歳の頃。

遅めのスタートということになりますね。

その後はドラマやバラエティで広く知られる存在に。

とくに1990年代は、テレビで見ない日がないほどの露出でした。

会社員を経てからの芸能界というのは、珍しい入り方です。

10代から養成所に通うような道筋とは、まるで違いますよね。

一度は堅い職に就いた、という点も見逃せません。

母親の期待に応える形を、いったんは選んだことになります。

【推測:中】そこから離れる決断が、25歳のときだったのでしょう。

その意味で、芸能界入りは自立の一歩でもあったのかもしれません。

いい人をやめる、という後年の言葉にも通じる話ですよね。

夫についても触れておきます。

【事実】2003年に堀川恭資さんと結婚しました。2歳年下の方です。

報道によると、約9年間の事実婚を経ての入籍だったそうです。

出会いは仕事を通じてのこと。

広告のキャスティングを手がける仕事をしていたと伝えられています。

【不明】子供については、いないとされています。

夫婦のことを大きく語る人ではないので、情報は多くありません。

9年という事実婚の長さも、この人らしいところ。

形より中身を優先する感覚が、そこに出ている気がします。

【推測:弱】実家での経験が、結婚観にも影響したのかもしれません。

家族の形を、自分で選び直したということでしょう。

俳優としての仕事も、幅広く続けてきました。

ドラマ、映画、舞台、そしてバラエティ番組。

骨髄バンクを題材にした作品にも、たびたび出演しています。

1990年代のテレビでは、明るく気さくな人という印象が定着していました。

その裏で母との関係に悩んでいたことになります。

画面から伝わる姿と、本人の内側は別ものだったわけですね。

骨髄バンクとGet in touchの活動

俳優業と並んで知られているのが、社会活動です。

長く取り組んできたのが骨髄バンクの支援。

関連するドラマや映画に出演し、講演もおこなってきました。

ドイツ国際平和村への支援も続けています。

戦争で傷ついた子供たちのリハビリを支える施設。

【事実】2012年には一般社団法人Get in touchを設立しました。

東日本大震災をきっかけに立ち上げた団体でした。

掲げている理念が「まぜこぜの社会」。

障害のある人もない人も、混ざり合って暮らせる社会という意味。

この言葉が生まれた経緯が面白いんですよね。

台所で混ぜご飯を作っているときに思いついたそう。

いろんな具が入っているほうがおいしい。その発想からきています。

混ぜご飯という日常の風景から、団体の理念が生まれた。

難しい言葉を使わないところが、この人らしいですよね。

多様性という言い方をすれば、話が固くなります。

まぜこぜなら、子供にも伝わる言葉になるわけです。

【推測:中】そこまで計算して選んだ言葉だと思います。

活動の手段に選んでいるのが、アートや音楽、演劇といった表現。

難しい話ではなく、楽しめる形で伝えるという方針なんですよね。

社会活動について語る東ちづるさん
出典:ウィキメディア・コモンズ(撮影:厚生労働省/CC BY 4.0

実家での経験を振り返ると、この活動の意味が見えてきます。

父の病気、母との関係、自身の解離性障害。

どれも、周囲に理解されにくいものばかりでした。

【推測:強】だからこそ、まぜこぜという言葉にたどり着いたのでしょう。

アルコール依存症の家庭は、外から見えにくいもの。

解離性障害も、周囲に説明しづらい症状です。

どちらも、当事者が黙ってしまいやすい問題なんですよね。

そこを本人が語り、団体まで作って発信している。

経験が動機になっていると考えるのが自然でしょう。

骨髄バンクの支援を長く続けてきたことも、同じ線上にあります。

白血病などの患者と、提供者をつなぐ仕組みです。

登録が増えなければ成り立たない制度でもあります。

俳優としての知名度を、そこに使ってきたわけですね。

2003年度には放送ウーマン賞も受けています。

団体名のGet in touchという言葉も、意味を持っています。

触れる、連絡を取る、つながる。そうした含みのある表現です。

分断ではなく接触を、という姿勢が名前にも出ていますよね。

妖怪の本を出版!66歳の現在

近年の活動で話題になったのが、妖怪をテーマにした本。

【事実】『妖怪魔混大百科』という書籍を出版しています。

「ようかいまぜまぜだいひゃっか」と読みます。

61体の妖怪を、東さん自身が描いて解説したもの。

SNSに投稿していた作品に、複数の出版社から声がかかったそう。

題名に「魔混」とあるのは、まぜまぜと読ませるため。

団体の理念である「まぜこぜ」と、同じ発想が入っています。

本人の説明によれば、妖怪は象徴なのだそう。

違うもの、わからないもの、理解されないもの。

社会がうまく受け入れられずにいる存在を表している、という見立てでした。

つまり妖怪の本は、活動の延長線上にあるわけですね。

高校時代の漫画研究会から、ここまでつながったことになります。

LINEスタンプにもなり、原画展も開かれました。

妖怪という題材の選び方が、じつに巧いところ。

多様性という言葉を使えば、身構える人もいます。

妖怪なら、まず面白がって手に取ってもらえますよね。

そのうえで、中身にはきちんと視点が込められている。

楽しめる形で伝えるという方針が、ここでも貫かれています。

61体という数も、なかなかの分量です。

1体ずつ姿を考え、名前をつけ、解説まで書いたことになります。

片手間でできる作業ではありませんよね。

本人が描いているという点も大きいところ。

イラストレーターに任せず、自分の手で形にしています。

高校の漫画研究会で培ったものが、40年以上を経て出てきたわけです。

SNSへの投稿から始まったという経緯も、いまらしい流れ。

反応が積み重なって、出版社の目に留まったということですね。

日本の妖怪は、もともとそういう存在でもありました。

説明のつかないものに名前を与え、受け入れてきた文化です。

【推測:中】そこに目をつけた着眼点が、この本の核でしょう。

項目 内容
書名 妖怪魔混大百科(ようかいまぜまぜだいひゃっか)
内容 61体の妖怪を自ら描き、解説を添えたもの
きっかけ SNSへの投稿に出版社から声がかかった
展開 書籍のほかLINEスタンプ、原画展
ねらい 理解されにくい存在の象徴として妖怪を描く

健康面についても公表しています。

【事実】2021年2月に初期の胃がんが見つかり、摘出手術を受けました。

その後も活動を続けているんですよね。

政治的な発言をすることでも知られています。

有名人の政治的発言が批判されがちな風潮に対し、疑問を投げかけてきた人でもあります。

政治は暮らしのことで誰でも語っていい、という趣旨の考えを示しています。

この姿勢には賛否の両方があるところ。

【事実】ただ本人は、特定の政党を支持すると表明してはいません。

主張の軸は、あくまで分断のない社会という一点なんですよね。

座長を務める「まぜこぜ一座」という公演も続けています。

障害のある人もない人も、同じ舞台に立つ形の催しです。

理念をそのまま舞台にした企画ということになりますね。

こうした活動を30年以上続けてきた人でもあります。

一過性の話題づくりではない、という点は押さえておきたいところ。

骨髄バンクの支援を始めたのは1990年代でした。

当時はまだ、制度そのものの認知が低い時期です。

そこから数えると、30年を超える取り組みになりますよね。

俳優の社会活動は、売名だと言われることもあります。

ただ30年続けば、その見方はあたらないでしょう。

実家の話に戻ると、すべてがつながって見えてきます。

理解されにくい家庭で育った子供が、理解される社会を作ろうとしている。

そう捉えると、活動の一貫性がよく分かりますよね。

まとめ

  • 実家は広島県因島。造船所に勤める父と会社員の母、2歳下の妹との4人家族
  • 父がアルコール依存症だったことを本人が公表している
  • 受験失敗時の母の言葉をきっかけに解離性障害となり、高校時代の記憶を失った
  • 37歳でアダルトチルドレンだと気づき、カウンセリングの経験を著書にまとめた
  • 実家での経験が、まぜこぜの社会を目指す現在の活動につながっている

生い立ちを語れる人は多くありません。

それを表に出し、活動の形にまで変えたところが、この人の強さだと思います。

実家の話をたどると、いまの活動の理由がよく分かります。

父の依存症、母との確執、自身の障害。

どれも、まわりから見えにくい問題ばかりでした。

見えにくいものを、見える形にする。

Get in touchの活動も、妖怪の本も、根はここにあるのでしょう。

因島という島で過ごした18年。

つらい記憶も含めて、いまの仕事の土台になっているわけですね。

66歳のいまも、俳優と社会活動を並行して続けています。

胃がんの手術を経てなお、活動が止まっていません。

そのエネルギーの出どころが、実家の話に詰まっている気がします。

よくある質問

東ちづるさんの実家はどこですか

広島県因島市、現在の尾道市因島です。瀬戸内海に浮かぶ造船の島で、しまなみ海道が通っています。父親はその造船所に勤めており、母親は会社員でした。

父親はどんな人だったのですか

造船所に勤める会社員で、アルコール依存症だったことを本人がインタビューで明かしています。突然吐血して救急車で運ばれたこともあったそうです。

母親との確執とは何ですか

大学受験に失敗した際、18年間の期待を裏切ったという趣旨の言葉をかけられたと語っています。これをきっかけに解離性障害となり、高校時代の記憶をほとんど失いました。のちにカウンセリングを受け、その経験を著書にまとめています。

きょうだいはいますか

2歳下の妹がいます。子供の頃は屋根裏部屋を秘密基地にして一緒に遊んでいたと語っています。ただし妹さんの職業や現在の様子は公表されていません。

妖怪の本とはどんな内容ですか

『妖怪魔混大百科』という書籍で、61体の妖怪を自ら描いて解説したものです。妖怪を、社会に理解されにくい存在の象徴として捉えています。高校時代に漫画研究会へ所属していた経歴ともつながる活動です。

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