ロザンナの子供は、長男・加藤士門(しもん)、次男・加藤来門(らいもん)、長女・加藤万梨音(まりおん)の3人です。
夫・出門英(ヒデ三吉)を39歳で亡くし、女手ひとつで3人を育て上げたロザンナ。現在は孫が7人生まれ、日本で充実した毎日を送っています。
この記事でわかること
- 3人の子供(士門・来門・万梨音)の名前と現在の職業
- 次男・来門が起こした大麻所持事件の詳細とその後
- 夫亡き後にロザンナが日本で子育てを続けた理由と現在
| 項目 | 内容 |
| 本名 | 加藤 絽山奈(旧姓ロザンナ・ザンボン) |
| 生年月日 | 1950年7月3日 |
| 年齢 | 75歳(2026年現在) |
| 出身地 | イタリア・ヴェネト州スキオ |
| 来日 | 1967年(17歳) |
| 国籍 | 日本(2017年3月30日帰化) |
| 職業 | 歌手・タレント・イタリア料理研究家 |
| 夫 | 出門英(1990年死去) |
| 子供 | 3人(士門・来門・万梨音) |
| 孫 | 7人 |
ロザンナの子供3人の素顔
ロザンナと夫・出門英の間には、二男一女の3人の子供が生まれました。長男・士門は1975年、長女・万梨音は1981年生まれで、次男・来門の生年月日は非公表です。
3人の名前はすべてイタリア語由来です。士門(シモン)は「Simon」、来門(ライモン)は「Raimon」、万梨音(マリオン)は「Marion」をそれぞれ当てています。イタリア人の母らしいセンスのある命名です。
全員が音楽・芸術・モデルなど感性を活かした分野で生きているのは、父と母ゆずりと言えるでしょう。一方、次男・来門が2008年に大麻所持で逮捕されたことも広く知られています。
| 名前 | 読み | 生年 | 職業 |
| 加藤士門 | かとう しもん | 1975年9月5日 | 音楽家・画家 |
| 加藤来門 | かとう らいもん | 非公表 | ミュージシャン |
| 加藤万梨音 | かとう まりおん | 1981年6月30日 | モデル・タレント |
長男・士門はマルチアーティスト
長男の加藤士門(かとう しもん)は、音楽家・画家として活動するマルチアーティストです。
父・出門英から受け継いだ音楽の才能を持ち、クリエイター集団「風の人」のメンバーとして音楽・絵画・詩の創作活動を続けています。
「風の人」とは、ジャンルを横断した表現活動を行うアーティスト集団です。士門はその中心メンバーの一人で、独自のスタイルで作品を生み出してきました。
三味線ユニット「エツナブ」にも参加しており、和楽器と現代音楽を融合させた世界観が特徴です。伝統と現代を橋渡しするような活動スタイルは、士門ならではと言えます。
2014年には東京を離れ、長野県・松代(まつしろ)へ移住しました。歴史的な街並みが残る松代で、自然に囲まれながら創作に打ち込む生活を選んでいます。
都市の喧騒より制作環境を優先した決断と見られており、アーティストとしての本気度がうかがえます。
士門はイケメンとしても話題になることがあり、父・出門英の面影を感じさせるという声も少なくありません。1975年9月5日生まれで、2026年現在は50歳です。
父が亡くなったのは士門が14歳のころです。思春期に父を失いながらも音楽と芸術の道を歩んだのは、父の背中が深く刻まれているからかもしれません。
ロザンナが「子供たちに音楽を押しつけたことはない」と語る一方で、3人全員が何らかの形で表現活動に関わっています。家庭の空気がそうさせたのでしょう。
士門が松代に移住を決めたのは、農業や自然との接点を求めてのことでもあると言われています。絵を描くにも、音楽をつくるにも、自分の根っこに正直でいたいという気持ちが伝わります。ロザンナのイタリア人としての感性と、父・出門英の沖縄的な精神性が融合したアーティストとも言えそうです。
ロザンナも士門の生き方を尊重しており、「自分の道を行っている」と誇りに思っているようです。3人の中で最も芸術家肌の士門は、ロザンナにとって最も「自分に似た子」かもしれません。
次男・来門の大麻所持事件の真相
次男の加藤来門(かとう らいもん)は、バンド「smorgas(スモーガス)」のMCとして活動するミュージシャンです。
smorgasは、ヒップホップをベースにロック・ジャズなど多様な音楽を取り込んだジャンルレスなバンドです。2000年代前半に独自の音楽性で注目を集めました。来門はそのMC(ボーカル)として参加しており、存在感を放っていました。
ロザンナとイタリア人の血を受け継いだ独特のルックスも話題になっており、「ヒデとロザンナの息子」としての知名度も持っていました。
来門の名前が広く知られるようになったのは、2008年2月3日に起きた大麻所持事件がきっかけです。
前年(2007年)7月に離婚した来門は、実家(ロザンナ宅)に戻って生活していました。その自宅で家族とのトラブルが発生し、警察が呼ばれることになります。
駆けつけた警察官が敷地内の車内から大麻を発見し、来門は現行犯逮捕となりました。
ロザンナは後の会見で「昨年7月に離婚して実家に帰ってきたが、寂しそうで…」と語っています。離婚後の孤独と傷心が、来門の判断に影を落としていた可能性は否定できません。一方でロザンナは、言い訳にはせずに謝罪の言葉を優先しました。
逮捕後、来門は不起訴処分となっています。所属バンド「smorgas」は無期限の活動休止を発表し、音楽活動から一時的に距離を置くことになりました。
smorgasはその後も表立った活動が確認されておらず、事実上の解散状態となっています。来門の現在の活動については、公表されている情報がほとんどない状況です。
来門逮捕後のロザンナ号泣会見
2008年2月14日、ロザンナは東京・立川市内のホテルで報道陣を前に会見を開きました。
「本人がここにいたら、ひっぱたいてやりたい」
この言葉はテレビや新聞で大きく取り上げられ、多くの人の記憶に残っています。
ORICON NEWS(2008年2月14日)によると、ロザンナは涙をこらえながらこう続けました。
「絶対に許せないし、親として勘当したい気持ちです」。
ただし、怒りの言葉の中にも母親としての苦悩がにじんでいました。「寂しそうだった」という一言には、息子への愛情と、自分を責める気持ちの両方が込められているようです。
「離婚して一人になり、つらかったのでしょう」というロザンナの言葉は、事件を単なる「犯罪」としてではなく、息子の痛みへの共感として受け取った証と言えます。
芸能人の家族の謝罪会見の中でも、この会見は母親の本音がにじんだものとして今も語り継がれています。
夫を亡くして以来、女手ひとつで3人を育ててきたロザンナにとって、この事件は深い痛みだったはずです。それでも正面から謝罪会見に臨んだのは、ロザンナの誠実さが表れているでしょう。
来門のその後については表立った情報が少ない状態が続いています。現在の音楽活動は確認できていませんが、ロザンナとの関係は続いていると見られています。
ロザンナは来門を「勘当したい」と語りながらも、現在は関係を保っているようです。親子の絆は、どんな事件があっても完全には断ち切れないものなのかもしれません。母として、ロザンナは怒りと愛情の両方を正直に表現したのでしょう。
長女・万梨音はモデル・シングルマザー
長女の加藤万梨音(かとう まりおん)は、1981年6月30日生まれのモデル・タレントです。
2026年現在44歳で、身長170cmのスレンダーな体型が特徴です。ロザンナとの親子2ショットも話題になることが多く、母娘ともに美しいと評判です。
幼い頃からテレビやCM、雑誌に出演し、高校生のころからモデルとして本格的な活動を始めました。ファッション誌「JJ」への出演も経験しています。ハツコエンドウウェディングスのイメージキャラクターを務めたことも話題になりました。
2004年6月に一般男性と結婚し、2005年に長男、2007年に長女を出産しました。その後、離婚してシングルマザーとなり、子供2人を育てています。
「子育てと仕事を両立するのは大変だけど、子供たちが一番の原動力」と語る万梨音の姿勢は、母・ロザンナと重なるものがあります。離婚後も前向きに活動を続けており、その姿勢に共感する声も多いようです。
アンチエイジングフードマイスターの資格を持ち、食と美容の分野にも精通しています。母・ロザンナとともにイタリア料理の本を出版しており、食を通じた発信にも力を入れています。
NHK「テレビでイタリア語」では、ロザンナのナビゲーターを務めました。イタリア語と日本語を自在に操るバイリンガルの才能を活かした仕事です。ロザンナとの親子共演が視聴者から好評を博し、話題になりました。
2024年5月27日には「徹子の部屋」にロザンナと2人で出演しました。ロザンナが未破裂脳動脈瘤の開頭手術を初告白したこの回で、万梨音も同席し、母娘の絆の深さを見せました。
母・ロザンナとの共同Instagramアカウント「ロザンナ&万梨音」(@rosanna.marion.rosemary)では、日常の様子や食事、母娘のエピソードを定期的に発信しています。フォロワーも多く、温かいコメントが集まることで知られています。
3人の子供の中でも、ロザンナと最も一緒に活動している存在が万梨音です。母の最大の理解者であり、日常の相棒でもあります。
孫7人とロザンナが日本に残る理由
ロザンナには現在、孫が7人います。3人の子供が全員それぞれの家庭を持ち、多くの孫が生まれた大家族です。
「なぜ日本に残るのですか」という問いは、長年ロザンナが受け続けてきた質問です。その答えはシンプルで、「子供がいるから」「日本が好きだから」というものです。
そしてもう一つ、夫・出門英と同じ墓に入りたいという願いがあります。2017年の帰化の際にも、ロザンナはこの思いに触れています。
夫が眠る場所に一緒に入りたい。その気持ちが、日本を終の棲家と決めた大きな理由の一つです。
孫7人との時間も、ロザンナの日常を豊かにしているようです。イタリア語と日本語の両方が飛び交う食卓で、ロザンナが手料理を振る舞う場面が目に浮かびます。
イタリア料理研究家として培った料理の腕前を孫たちに伝えていく存在でもあります。ロザンナが日本にいる限り、孫たちは本場のイタリア家庭料理を味わえるわけです。
来日から半世紀以上が経った2026年現在、ロザンナは75歳です。年齢を感じさせない活動量で第一線に立ち続けるのは、孫たちとの日常が活力の源になっているからかもしれません。
以前インタビューでロザンナは「孫が7人もいて、私の日本語はどんどんうまくなる」と笑顔で話したことがあります。賑やかな家族の中で生きるロザンナの姿は、日本に根を張って生きると決めた人の強さそのものと言えます。
孫の存在は、ロザンナが日本にとどまる「現在進行形の理由」とも言えます。子供たちが大人になり独立した今、孫との時間こそが日常の中心に据わっているのでしょう。
女手ひとつで3人を育てた子育て
1990年6月17日、夫・出門英が結腸がんにより47歳で亡くなりました。このとき、ロザンナは39歳でした。
長男・士門は14歳、次男・来門は10歳前後、長女・万梨音は8歳です。3人の子供を抱えながら、外国籍のまま日本でシングルマザーとしての生活をスタートさせることになりました。
夫の死後、ロザンナは1年間イタリアへ帰国して静養します。1991年に日本へ戻り、歌手・タレントとしての活動を再開しました。
それからの日々は、仕事と育児の両立という挑戦の連続でした。日本語でコミュニケーションをとりながら、PTA活動や学校行事への参加もこなしました。外国人のシングルマザーとして、周囲と誠実に向き合い続けた日々です。
言語・文化・法制度の壁を越えながら子供たちを支え続けたロザンナの強さは、多くのファンが尊敬するところです。
ロザンナ自身は「子育ては難しかったけれど、楽しかった」と語ることが多いようです。悩みながらも、自分に正直に向き合って子育てをしてきた様子が伝わります。
3人とも感性豊かな分野で生きているのは、ロザンナが「自分の好きなことを大切にしなさい」という姿勢で育てたからとも言われています。
音楽を押しつけることなく、それぞれの個性を尊重した子育てが、士門のアーティスト活動、来門の音楽活動、万梨音のモデルキャリアへとつながりました。
外国人として日本で子育てを続けることの苦労は、想像以上のものがあったはずです。それでも前を向き続けたロザンナの姿勢は、子供たちにとって最大の教育でもあったでしょう。
夫の死後35年以上が経った今も、日本でたくましく生きるロザンナの姿は、「どんな困難も乗り越えられる」ということを体現しています。ロザンナ自身もインタビューで「泣いている暇はなかった。子供のために働くしかなかった」と振り返ったことがあります。その一言に、シングルマザーとして生きた歳月の重みが凝縮されています。
ロザンナの経歴と現在
ロザンナ(本名:加藤絽山奈)は1950年7月3日生まれで、2026年現在は75歳です。17歳で来日して以来、半世紀以上にわたって日本で生き、今や「日本人のロザンナ」として定着しています。
現在も歌手・タレント・料理研究家として第一線で活動を続けており、ディナーショーや講演でも高い人気を誇ります。
NHKのイタリア語番組への出演や、各種テレビ番組への出演も続けており、イタリア料理研究家としての肩書きも定着しています。夫の死後にソロ活動を再開したロザンナが、料理研究家として注目されるようになったのは自然な流れでした。
イタリア家庭料理のレシピや食文化を日本に伝えることを、自分の使命の一つとして位置づけているようです。娘・万梨音とともにイタリア料理の本を出版するなど、食を通じた文化発信は今も続いています。
- 1950年:イタリア・スキオ生まれ
- 1967年:17歳で来日
- 1968年:出門英と「ヒデとロザンナ」結成、「愛の奇跡」大ヒット
- 1990年:夫・出門英が結腸がんで47歳で死去
- 2017年:日本国籍取得
- 2024年:「徹子の部屋」で開頭手術を初告白
| 年 | 出来事 |
| 1950年7月 | イタリア・ヴェネト州スキオで誕生 |
| 1967年 | 叔父の勧めで17歳にして来日 |
| 1968年 | 出門英と「ヒデとロザンナ」結成、「愛の奇跡」大ヒット |
| 1970年 | 「真夜中のボサノバ」ヒット |
| 1975年2月 | 出門英と結婚 |
| 1975年9月 | 長男・士門(シモン)誕生 |
| 1981年6月 | 長女・万梨音(マリオン)誕生 |
| 1990年6月 | 夫・出門英が結腸がんで47歳で死去 |
| 1991年 | イタリアから帰国し活動再開 |
| 2008年2月 | 次男・来門が大麻所持で逮捕、不起訴処分 |
| 2017年3月 | 日本国籍取得。本名「加藤絽山奈」 |
| 2024年5月 | 「徹子の部屋」で開頭手術を初告白 |
17歳で来日しデュオを結成するまで
ロザンナが日本に来たのは1967年のことです。音楽学院を卒業したばかりの17歳で、叔父の勧めを受けてグループ歌手として来日しました。
当時のロザンナは、日本語もほとんどわからない状態での来日でした。見知らぬ国に飛び込むというのは、10代の少女にとって相当な勇気が必要な決断です。
しかし音楽が共通言語となり、日本での生活は少しずつ軌道に乗っていきました。イタリア人の感性で日本の歌謡曲を歌いこなすロザンナは、当時の日本人にとって新鮮な存在でした。
金髪・青い目というイタリア人ならではの外見と、流暢な日本語が混じった独特のキャラクターは、テレビの世界でも注目を集めました。1960〜70年代当時、外国人タレントはまだ珍しく、ロザンナの存在感は際立っていました。
来日翌年の1968年、ロザンナは出門英(いでと えい)と出会います。沖縄出身のシンガー・出門英と意気投合し、デュオ「ヒデとロザンナ」を結成しました。
デビュー曲「愛の奇跡」(1968年)は大ヒットを記録し、2人は一躍人気デュオとなりました。当時のロザンナはまだ18歳です。言葉も文化も異なる日本で音楽を通じて道を切り開いた行動力は、際立っています。
その後も「真夜中のボサノバ」(1970年)などのヒット曲を連発し、1970年代の歌謡界に確かな足跡を残しました。
「ヒデとロザンナ」という名前は、夫の名「ヒデ(Hide)」と妻の名「ロザンナ」をそのまま組み合わせたシンプルなもの。2人の関係そのものをデュオ名にしたわけです。
出門英は1942年9月21日生まれで、ロザンナとの年齢差は約7歳でした。デュオとして活動しながら、2人の関係はやがて夫婦へと発展しました。
出門英との結婚と突然の死去
1975年2月、ロザンナと出門英は結婚しました。音楽活動のパートナーから夫婦へ、7年以上の時間をかけて育んだ関係です。
「ヒデ三吉」という愛称で親しまれた出門英は、沖縄・那覇出身のシンガーです。穏やかな人柄と甘い歌声で知られており、ロザンナとのコンビは「仲の良いオシドリ夫婦」として評判でした。実生活でもデュオのイメージそのままの仲睦まじいカップルで、共演相手に「本当に仲が良い」と言われていたといいます。
結婚後も「ヒデとロザンナ」としての活動を続け、3人の子供に恵まれました。家族として、アーティストとして、充実した日々が続きます。
長女・万梨音はのちに「家の中は常に音楽が流れていた」と語っており、音楽に満ちた家庭だったことが伝わります。
しかし、その生活は突然終わりを告げます。1990年6月17日、夫・出門英が結腸がんにより47歳で亡くなりました。
39歳だったロザンナは、3人の子供を抱えたまま夫を失うという試練を受けることになります。「ヒデとロザンナ」としての活動も事実上幕を閉じ、大きな転機を迎えました。
夫との年齢差は約7歳で、ロザンナが年下でした。先立たれたことで、ロザンナはその後35年以上を「ヒデなきロザンナ」として歩むことになります。
夫の死後1年間、ロザンナはイタリアへ帰国し、気持ちを整えました。1991年に日本へ戻り、ソロの歌手・タレントとして第二のキャリアを切り開きます。
夫への思いを胸に秘めながら前を向き続けたロザンナの姿は、多くのファンの共感を呼びました。「ヒデとロザンナ」時代の曲も大切に歌い継いでいます。
日本帰化と夫と同じ墓に入る思い
夫の死から27年後の2017年3月30日、ロザンナは日本への帰化が正式に認められ、日本国籍を取得しました。
帰化の理由は主に2つあります。1つは、相続や法的手続きの簡略化です。外国籍のまま日本で財産を管理することには複雑な手続きが伴い、子供たちへの相続にも影響がありました。
もう1つは、夫と同じ墓に入りたいという個人的な思いです。日本の慣習では同じ墓に入るためにはさまざまな条件があります。帰化することでその願いが確かなものになると判断したと伝えられています。
帰化の手続きは決して簡単ではありませんでした。70点を超える書類を揃え、日本語の読み書きにも改めて向き合いました。
長年の日本生活で日常会話には不自由しないロザンナでも、戸籍や法的書類に使われる難解な日本語は別物です。新たに学び直す努力が必要でした。
申請から約15ヶ月後の2017年3月、ようやく許可が下ります。来日から約50年を経て、ロザンナは名実ともに「日本人」となりました。
本名は「加藤 絽山奈(かとう ろざんな)」です。イタリア語のRosanna(ロザンナ)を日本語で「絽山奈」と当てた独特の漢字表記が話題になりました。絹織物の「絽(ろ)」に「山奈(さんな→ざんな)」を組み合わせた、音と雰囲気の両方にこだわった命名です。
「日本は私の第二の故郷」と語り続けてきたロザンナにとって、帰化は単なる手続き以上の意味を持ちます。夫と同じ国の人間として、夫が眠る日本に骨を埋める覚悟を正式に示した行為と言えるでしょう。
未破裂脳動脈瘤で2度の開頭手術
2024年5月27日、テレビ朝日系「徹子の部屋」に娘・万梨音と2人で出演したロザンナは、脳の手術について初めて公表しました。
受けた手術は「未破裂脳動脈瘤」の開頭手術です。未破裂脳動脈瘤とは、脳の血管にできた瘤がまだ破裂していない状態のもので、放置するとくも膜下出血につながるリスクがあります。
ロザンナが検査を受けるきっかけになったのは、母の死でした。ロザンナの母は62歳のときにくも膜下出血で亡くなっており、常々脳の健康を気にしていたといいます。
自覚症状はまったくなかったものの近所の脳神経外科を受診したところ、動脈瘤が発見されました。信頼できる医師と出会い、約1ヶ月という期間に2度の開頭手術を受けます。
大がかりな手術を短期間に2度というのは、患者にとって大変な負担です。それでも術後の回復は医師も驚くほどの速さだったと、マイナビニュース(2024年5月27日)は伝えています。
数年後に「徹子の部屋」への出演を果たし、この事実を初めて語ったとき、多くのファンが驚きと安堵の声を上げました。
75歳の現在も歌手・タレント・料理研究家として活動を続けるロザンナの生命力は、多くのファンを励まし続けています。
「自分の体のことを早めに知ることが大事」という姿勢は、同世代の視聴者にとっても大きなメッセージとなりました。
定期的な健康診断と早期発見・治療が命を守ることを、ロザンナ自身が実証した出来事とも言えます。
2026年7月3日には76歳の誕生日を迎えるロザンナ。開頭手術を乗り越え、孫7人に囲まれながら、今日も日本でたくましく生きています。その姿は「人生は前向きに生きるもの」という言葉よりも、ずっと強くそのことを伝えています。
まとめ:ロザンナと子供たちの今
- 長男・加藤士門は音楽家・画家として長野・松代を拠点に活動中
- 次男・加藤来門は2008年に大麻所持で逮捕・不起訴。現在の活動は非公表
- 長女・万梨音はモデル・タレント。母と共同Instagramで日々を発信
- ロザンナは2017年に日本国籍取得、孫7人との大家族を日本で育んでいる
- 2024年に未破裂脳動脈瘤の2度の開頭手術を初告白、75歳の現在も精力的に活動中
ヒデとロザンナ時代の名曲「愛の奇跡」は今も多くの人に愛されており、ロザンナはディナーショーなどで丁寧に歌い継いでいます。夫・出門英への思いを音楽に乗せ続けることが、ロザンナにとっての生きがいの一つとなっているようです。
よくある質問(FAQ)
Q. ロザンナの子供は何人いる?
A. 3人います。長男・加藤士門(しもん)、次男・加藤来門(らいもん)、長女・加藤万梨音(まりおん)の二男一女です。名前はすべてイタリア語由来で、士門は「Simon」、来門は「Raimon」、万梨音は「Marion」を日本語にあてたものです。
Q. ロザンナの娘・万梨音は今何をしている?
A. モデル・タレントとして活動中です。アンチエイジングフードマイスターの資格も持ち、NHK「テレビでイタリア語」のナビゲーター経験もあります。母ロザンナと共同のInstagramアカウント「ロザンナ&万梨音」(@rosanna.marion.rosemary)で日常を発信しています。
Q. ロザンナの息子・来門が逮捕されたって本当?
A. 本当です。2008年2月3日、次男・加藤来門が大麻所持の現行犯で逮捕されました。ただし検察は不起訴処分としています。ロザンナは同年2月14日に謝罪会見を開き、「ひっぱたいてやりたい」と涙ながらに語ったことが当時大きく報じられました。来門が所属していたバンド「smorgas」は無期限の活動休止を発表しました。
Q. ロザンナの孫は何人いる?
A. 7人います。長女・万梨音は2人(長男・長女)、長男・士門と次男・来門もそれぞれ家庭を持っており、合計7人の孫が生まれています。ロザンナが日本に残り続ける大きな理由の一つでもあります。
Q. ロザンナは今(2026年)何歳?
A. 75歳です。1950年7月3日生まれで、2026年7月に誕生日を迎えます。2017年に日本国籍を取得し、現在も歌手・タレント・イタリア料理研究家として精力的に活動しています。

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