蔵内勇夫さんの家系図をたどると、明治から昭和にかけて筑豊で名をとどろかせた炭鉱王一族に行き着きます。
ただし、蔵内さんは血のつながりで一族に入った人ではありません。結婚を機に婿入りし、姓を変えた人なんですよね。
- 蔵内家の家系図と、炭鉱王・蔵内次郎作から続く一族の系譜
- 蔵内勇夫さんが婿入りした経緯と、妻や子供の顔ぶれ
- 長男の落選と、麻生太郎さんとの複雑な距離感
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 藏内勇夫(くらうち いさお) |
| 旧姓 | 山口 |
| 生年月日 | 1953年12月7日 |
| 年齢 | 72歳(2026年8月時点) |
| 出身地 | 福岡県筑後市 |
| 学歴 | 福岡県立八女高校、日本大学農獣医学部獣医学科 |
| 学位 | 博士(農学・九州大学大学院) |
| 資格 | 獣医師 |
| 現職 | 福岡県議会議員(10期)、第74代福岡県議会議長 |
| 主な役職 | 世界獣医師会会長、自民党福岡県連会長 |
| 家族 | 妻、長男、母 |
蔵内勇夫の家系図と蔵内家のルーツ
蔵内家は、明治から昭和初期にかけて筑豊で炭鉱を経営した一族。石炭の産出高が全国6位に達した年もありました。
蔵内勇夫さんはその一族に、結婚によって加わった人。旧姓は山口さんでした。
蔵内勇夫は婿入りで蔵内家に入った
まず押さえておきたいのが、蔵内勇夫さんが蔵内家の血筋ではないという点。
福岡県筑後市の生まれで、もとの姓は山口。日本大学農獣医学部で獣医学を学び、獣医師の資格を取っています。
転機は、大学時代の同級生だった女性との結婚でした。その女性が、衆参両院で議員を務めた蔵内修治さんの姪だったんです。
結婚は1980年前後とみられ、これを機に蔵内家へ婿入り。姓も山口から蔵内へ変わりました。
卒業後は臨床獣医師として1年3か月ほど働いていましたが、1980年7月に蔵内修治さんの秘書へ転身。ここから政治の世界に入っていきます。
獣医師から政治家へという珍しい経歴も、この結婚が起点になったと考えるのが自然でしょう。
婿入りという形は、地方政界では決して珍しくありません。
後援会や支持者のつながりは、個人ではなく家に付いていることが多いもの。血縁でなくても、家に入れば地盤を引き継げる余地が生まれます。
とはいえ、譲られただけで10期も勝ち続けられるほど選挙は甘くないですよね。看板を活かしながら、自力で積み上げてきた結果と見るべきでしょう。
ちなみに公式表記は旧字体の「藏内」。一般には「蔵内」と書かれることが多く、どちらも同じ人を指しています。
福岡県議会の公式サイトも、日本獣医師会の資料も「藏内」の表記。一方で報道や一般の記事は「蔵内」が主流。
旧字体は入力の手間がかかるため、実務上は新字体に置き換えられていったのでしょう。一族の資料でも両方の表記が混在しています。
蔵内家の家系図を5代でたどる
一族の流れを世代順に並べると、こうなります。
| 世代 | 人物 | 続柄 | 主な立場 |
|---|---|---|---|
| 初代 | 蔵内新六 | 次郎作の父 | 豊前国築城郡深野村の家系 |
| 2代 | 蔵内次郎作(1847-1923) | 新六の三男 | 炭鉱経営者、衆議院議員5期 |
| 3代 | 蔵内保房(1863-1921) | 次郎作の甥かつ養子 | 田川銀行頭取、多額納税者 |
| 4代 | 蔵内次郎兵衛(1892-1967) | 保房の子 | 蔵内鉱業社長 |
| 4代 | 蔵内修治(1918-1993) | 次郎作の長男 | 衆議院議員6期、参議院議員1期 |
| 5代 | 蔵内知美(1948-) | 修治の長男 | ー |
| 5代 | 蔵内真理子 | 修治の長女 | ー |
| ー | 藏内勇夫(1953-) | 修治の姪の夫 | 福岡県議会議員10期 |
| ー | 蔵内謙(1981-) | 勇夫の長男 | 元林芳正氏秘書 |
この表を見ると、蔵内勇夫さんの位置づけがはっきりしてきますよね。
修治さんには実子である知美さん、真理子さんがいるため、勇夫さんは娘婿ではありません。姪の夫、つまり本家の直系とは別の筋から入った人なんですね。
そのうえで政治的な地盤を受け継いだ形。血筋よりも、地元での信頼の積み重ねが効いたのでしょう。
家系図をたどって面白いのが、一族の生業が世代ごとに移り変わっている点。
| 世代 | 中心にあったもの |
|---|---|
| 次郎作・保房の代 | 炭鉱、銀行、鉄道 |
| 次郎兵衛の代 | 蔵内鉱業の経営 |
| 修治の代 | 国政 |
| 勇夫の代 | 県政と獣医師の世界 |
石炭が国の基幹産業だった時代は炭鉱、それが傾けば政治、という具合。
そして勇夫さんの代では、獣医師という専門職が一族の新しい看板になりました。婿入りした人が持ち込んだものが、家の性格まで変えたわけです。
この移り変わりの背景にあるのが、筑豊炭田そのものの盛衰。
戦後のエネルギー革命で石炭から石油へと需要が移り、筑豊の炭鉱は1960年代にかけて次々と閉山していきました。
かつて全国6位の産出高を誇った蔵内鉱業も、時代の流れの外にはいられなかったはず。次郎兵衛さんが亡くなったのが1967年で、ちょうどその時期と重なります。
炭鉱という土台が消えたあと、一族に残ったのは政治の地盤と、地域での信用でした。
修治さんが国政で6期を重ねられたのも、その蓄積があったからでしょう。家の中身は変わっても、人のつながりは残ったということ。
炭鉱王・蔵内次郎作が築いた一族
一族の礎を築いたのが、2代目にあたる蔵内次郎作さんです。
1847年、豊前国築城郡深野村、いまの福岡県築上郡築上町の生まれ。庄屋の家に三男として生まれました。
1885年に峰地炭鉱を開坑したのを皮切りに、足立炭鉱など複数の炭鉱を手がけていきます。
同じ筑豊で名を知られた伊藤伝右衛門さんと並び称される鉱主にまで上りつめました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1847年 | 豊前国築城郡深野村に生まれる |
| 1885年 | 峰地炭鉱を開坑 |
| 1908年 | 第10回総選挙で衆議院議員に初当選 |
| 1913年 | 麻生太吉らと約4か月の欧米炭鉱視察へ |
| 1916年 | 蔵内鉱業株式会社を設立 |
| 1919年 | 石炭産出高が全国6位に |
| 1923年 | 死去 |
政治家としても、1908年から連続5期にわたって衆議院議員を務めた人。小倉鉄道の建設にも力を注ぎました。
筑豊には、次郎作さんのほかにも名だたる炭鉱主がいました。
| 人物 | 関わり |
|---|---|
| 伊藤伝右衛門 | 次郎作と並び称された鉱主。歌人・柳原白蓮の夫として知られる |
| 麻生太吉 | 麻生太郎氏の曽祖父。1913年に次郎作らと欧米視察へ |
| 貝島太助 | 貝島炭礦の創業者。同じく欧米視察に同行 |
石炭が国の基幹産業だった時代、筑豊の炭鉱主は経済界と政界の両方に強い影響力を持っていました。
次郎作さんが衆議院議員を5期務めたのも、その流れの中にあります。事業と政治が地続きだった時代なんですよね。
ここで見逃せないのが、1913年の欧米視察。貝島太助さん、麻生太吉さんら筑豊の炭鉱経営者たちと、約4か月かけて欧米の炭鉱を見て回っています。
麻生太吉さんは、麻生太郎さんの曽祖父にあたる人物。**蔵内家と麻生家の縁は、100年以上前の筑豊から続いていた**ことになります。
一族が3代にわたって暮らした本邸が、築上町に残る旧蔵内邸です。庭園は国指定名勝になっていて、いまも見学できます。
建物は明治期に主屋と応接部分が建てられ、大正期に大広間や茶室、大玄関が増築されました。
炭鉱経営が最も勢いづいていた時期に、屋敷もふくらんでいったことになります。
所在地は福岡県築上郡築上町大字上深野396。次郎作さんが生まれた土地に、そのまま本邸が構えられました。
一族が去ったあとも建物は残り、現在は町が管理して公開しています。家系図を紙の上でたどるより、ここを訪ねたほうが一族の規模は伝わるかもしれませんね。
庭園が国の名勝に指定されているという事実だけでも、当時の財力がうかがえます。
個人の屋敷の庭が国の指定を受ける例は、そう多くありません。炭鉱主がどれほどの富を築いたかを示す証拠と言えるでしょう。
蔵内家という名前を知らなくても、この屋敷なら見たことがあるという人もいるかもしれませんね。
福岡県の観光案内にも取り上げられている場所。家系図の話が急に実感を持つ瞬間でもあります。
養子の保房と世代が逆転した理由
蔵内家の家系図には、少し変わった構造があります。
3代目の蔵内保房さんは、もともと次郎作さんの兄・栄蔵さんの長男。つまり甥にあたります。14歳で実の父を亡くし、次郎作さんの養子になりました。
ここまではよくある話。ただ、そのあとの年回りが独特なんです。
| 人物 | 生年 | 次郎作から見た続柄 |
|---|---|---|
| 蔵内次郎作 | 1847年 | 本人 |
| 蔵内保房 | 1863年 | 甥、のちに養子 |
| 蔵内次郎兵衛 | 1892年 | 孫(保房の子) |
| 蔵内修治 | 1918年 | 実の長男 |
次郎作さんが実の長男・修治さんをもうけたのは1918年。**71歳のときの子**でした。
その時点で、養子である保房さんの子どもたちはすでに成人しています。次郎兵衛さんは26歳。
つまり修治さんは、孫世代にあたる次郎兵衛さんより26歳も年下だったわけです。家系図としてはかなり珍しい形。
次郎作さんが亡くなったのは1923年で、修治さんはまだ5歳。父の顔をほとんど覚えていなかった可能性が高いです。
養子だった保房さんも、地元に大きな足跡を残した人でした。
田川銀行の頭取を務め、福岡県の多額納税者にも名を連ねています。当時の多額納税者は貴族院議員の選挙資格にも関わる立場。地域の実力者そのものでした。
教育への貢献も見逃せません。田川中学と築城中学の創設に関わり、それがいまの田川高校につながっています。宇島鉄道の敷設にも力を貸しました。
炭鉱で得た富を、銀行や鉄道、学校へと還元していく。当時の炭鉱主に共通する動き方でもありました。
保房さんの子である次郎兵衛さんは蔵内鉱業の社長を務め、弟の正次さんも一族の事業を支えています。炭鉱経営はこの系統が担った形。
この年齢差があったからこそ、炭鉱事業は保房さんの系統が担い、修治さんは政治の道へ進むという棲み分けになったのかもしれませんね。
義理の叔父にあたる蔵内修治
蔵内勇夫さんにとって、政治の師にあたるのが蔵内修治さんです。
1918年生まれ。東京府立第一中学、旧制松山高校を経て、東京帝国大学国史学科へ進んだ人です。在学中はボートに打ち込んでいたそう。
1942年に卒業と同時に陸軍へ応召し、陸軍中尉で終戦を迎えています。
戦後は電源開発の調査役などを経て、1958年に衆議院議員へ初当選。以後6期を重ねました。
- 労働政務次官
- 外務政務次官
- 衆議院商工委員長
- 衆議院内閣常任委員長
- 1980年から参議院議員を1期
1986年に政界を引退しています。妻は萩原寿美子さんで、三井製薬の萩原真さんの二女。
衆議院で6期を重ねたあと、1980年に参議院へ転じているのも珍しい経歴。
商工委員長や内閣常任委員長といった要職を歴任していて、党内でそれなりの地歩を築いていたことがうかがえます。
勇夫さんは、この修治さんの秘書としてキャリアを始めました。義理の叔父の下で政治を学んだ形になります。
なお修治さんとの縁は、自見家にもつながっています。自見庄三郎さんは修治さんの後援会青年部長を務めた人。
自見さんの母・礼子さんは久良知家の出で、久良知家は蔵内家とともに炭鉱を経営した同族でした。**筑豊の炭鉱人脈が、そのまま現代の政界人脈になっている**構図です。
蔵内勇夫の妻と子供は?娘はいるのか
家族について気になる声が多いので、公表されている範囲で整理しておきます。
| 続柄 | 分かっていること |
|---|---|
| 妻 | 蔵内修治氏の姪。日本大学時代の同級生。氏名は公表されていない |
| 長男 | 蔵内謙さん(1981年生まれ) |
| 母 | 公式プロフィールの家族欄に記載あり |
| 娘 | 公表された情報はない |
よく話題にのぼるのが「娘はいるのか」という点。
公式プロフィールの家族欄に書かれているのは「妻、長男、母」の3名だけです。娘がいるという情報は確かめられませんでした。
政治家の家族欄は、同居家族や公にしている家族を挙げるのが通例。そこに記載がない以上、娘さんはいないと考えるのが自然でしょう。
もうひとつ、蔵内姓を名乗る人が複数いるため混同が起きやすい点にも触れておきます。
修治さんの長男である知美さんも蔵内姓。勇夫さんの長男である謙さんも蔵内姓。ただし両者は、系統としては別の枝にあたります。
知美さんは修治さんの直系、謙さんは修治さんの姪の子。同じ名字でも、家系図上の位置は違うんですよね。
妻については、氏名も顔写真も公表されていません。政治活動の表に出るタイプではないようです。
一般の方でもありますし、この記事でも続柄より踏み込んだことは書きません。
蔵内勇夫の経歴と麻生太郎との関係
獣医師として出発し、福岡県議を10期。県議会のドンと呼ばれる一方、2026年には日本人で初めて世界獣医師会の会長に就きました。
政界では、麻生太郎さんとの距離感が長く注目されてきた人でもあります。
獣医師から福岡県議会のドンへ
蔵内勇夫さんの歩みを、年表で追ってみます。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1953年 | 12月7日、福岡県筑後市に生まれる(旧姓・山口) |
| 1979年 | 日本大学農獣医学部獣医学科を卒業 |
| 1980年前後 | 蔵内修治氏の姪と結婚し、蔵内家へ婿入り |
| 1980年7月 | 蔵内修治氏の秘書となる |
| 1987年 | 福岡県議会議員に初当選 |
| 2001年5月 | 第54代福岡県議会議長に就任 |
| 2013年6月 | 日本獣医師会会長に就任 |
| 2022年11月 | アジア獣医師会連合(FAVA)会長に就任 |
| 2025年4月 | 第74代福岡県議会議長に就任 |
| 2026年4月 | 世界獣医師会会長に就任 |
1987年の初当選から10期連続。40年近く県議を続けてきた計算です。
自民党福岡県支部連合会の会長も務め、県政界での影響力の大きさから「福岡県議会のドン」と呼ばれてきました。
県議会議長を2度務めているのも特筆すべき点。2001年の第54代に続き、2025年4月に第74代として再び議長の座に就いています。
九州大学大学院で博士(農学)も取得していて、獣医師としての専門性を手放していないのが特徴的です。
政治家になってから博士号を取ったという順序も、なかなか珍しいところ。
肩書きだけの獣医師ではなく、学術の側からも発言できる立場を保ってきたわけです。世界獣医師会の会長という役職も、この積み重ねがあってこそでしょう。
議長を2度務めるというのは、県議会ではかなり重い意味を持ちます。
議長は通常1期かぎりで交代していくポスト。24年の間隔をあけて再登板した例は、そう多くありません。
それだけ会派内での信頼が厚いということ。ドンと呼ばれるゆえんでもあります。
選挙区は生まれ育った筑後市。事務所も市内に構えています。
現在は警察委員会と、ワンヘルス・地方分権等調査特別委員会に所属。専門分野と県政の課題が重なる場所に身を置いてきました。
県連会長として国政選挙の候補者調整にも関わる立場。県議でありながら、国政に近いところで動いてきた人でもあります。
日本人初の世界獣医師会会長に就任
2026年、大きなニュースがありました。
同年4月、東京で開かれた世界獣医師会大会において、**日本人として初めて世界獣医師会の会長に就任**したんです。
世界獣医師会は、世界の90万人以上の獣医師を代表する組織。任期は2年間。
福岡県庁の発表によると、就任を報告するため知事と副議長を訪問しています。
| 時期 | 獣医師分野での役職 |
|---|---|
| 2013年6月 | 日本獣医師会会長 |
| 2022年11月 | アジア獣医師会連合(FAVA)会長 |
| 2026年4月 | 世界獣医師会会長(日本人初) |
就任にあたって掲げたのが「ワンヘルス」の理念。人と動物と環境の健康を一体として守るという考え方です。
福岡県はワンヘルスの推進に条例まで設け、県議会には専門の特別委員会も置かれています。蔵内さんはその委員会にも所属。
地元での取り組みが、そのまま世界的な役職につながった形と言えるでしょう。
ワンヘルスをめぐる福岡県の動きは、実はかなり早い段階から始まっていました。
2016年11月、北九州市である国際会議が開かれました。世界獣医師会と世界医師会によるワンヘルスの会議です。
ここで採択されたのが、ワンヘルスを実践段階へ進めるとした「福岡宣言」でした。
蔵内さんが日本獣医師会の会長に就いたのは2013年6月。この国際会議の時点で、すでに日本の獣医師界を代表する立場にありました。
そして2020年12月、福岡県は「福岡県ワンヘルス推進基本条例」を制定します。ワンヘルスを掲げた条例としては全国初でした。
公布・施行は2021年1月5日。県議会が中心となって設計した条例です。
参議院議員の自見英子さんとも、この分野で協力関係にあります。自見さんの父・庄三郎さんが蔵内修治さんの後援会青年部長だったことを思うと、縁の長さに驚かされますよね。
長男の蔵内謙と2016年福岡6区補選
蔵内勇夫さんの名前が全国に知られたきっかけが、2016年の衆院福岡6区補欠選挙。
鳩山邦夫さんの死去に伴う補選に、蔵内さんは長男の謙さんを擁立します。
謙さんは1981年生まれ。八女学院高校を卒業後、ノーステキサス大学を中退し、父の事務所やタマホームでの勤務を経て、林芳正さんの秘書を務めていました。
相手は、邦夫さんの次男である鳩山二郎さん。保守分裂の激しい選挙になります。
| 蔵内謙陣営 | 鳩山二郎陣営 | |
|---|---|---|
| 支援した政治家 | 麻生太郎、古賀誠 | 武田良太、菅義偉 |
| 党の公認 | 見送り | 見送り |
| 結果 | 落選 | 当選 |
このとき麻生太郎さんが謙さんの選対本部長を務めています。**麻生氏は蔵内側についていた**わけですね。
結果は、8万票以上の大差で謙さんの敗北。鳩山家の地盤の厚さを見せつけられる形になりました。
単なる後継者争いではなく、鳩山家、蔵内家、県連、そして麻生さんの力関係が表に出た選挙だったと言えます。
謙さんはその後、国政選挙に出馬していません。
謙さんの経歴を見ると、政治一本というより回り道の多い歩みでした。
| 時期 | 経歴 |
|---|---|
| 1981年 | 福岡県筑後市に生まれる |
| 高校 | 八女学院高校を卒業 |
| 大学 | ノーステキサス大学を中退 |
| その後 | 父・勇夫氏の事務所に勤務 |
| 民間 | タマホームに勤務 |
| 秘書 | 林芳正氏の秘書を務める |
| 2016年 | 衆院福岡6区補選に無所属で出馬し落選 |
林芳正さんの秘書を務めていた点は、蔵内家の人脈の広さを示すところ。中央とのパイプがあったからこその擁立だったのでしょう。
補選から10年近く。謙さんが再び表舞台に立つのかどうかは、まだ見えていません。
父の勇夫さんは2026年時点で72歳、県議10期目。いずれ後継の話は避けて通れなくなるはず。
ただ、地盤をそのまま引き継げるとは限らないのが選挙の難しいところですよね。2016年の大敗は、その現実を突きつけた出来事でもありました。
麻生太郎との関係は今どうなっている
「蔵内勇夫と麻生太郎の関係」が気になる声は多いようです。ここは少し丁寧に見ておく必要があります。
結論から言えば、単純な盟友関係ではありません。
たしかに2016年の補選では、麻生さんが蔵内さんの長男の選対本部長を務めました。その後の知事選でも共闘しています。
ただ、西日本新聞が報じたところによると、両者が結びついた背景には武田良太さんという共通の相手の存在が大きかったとされます。
そして麻生さんと武田さんの関係が改善するにつれ、蔵内さんとの間に隙間風が吹く可能性が指摘されてきました。
つまり利害が一致した局面では組み、状況が変われば距離が生まれる。そういう関係だと見るのが実態に近いのでしょう。
そもそも両家の縁は、曽祖父の代までさかのぼります。麻生太吉さんと蔵内次郎作さんは、ともに筑豊の炭鉱経営者で立憲政友会に属していました。
現在の福岡県政は、麻生さん、武田良太さん、そして蔵内さんの3者が軸になっていると語られてきました。
西日本新聞はこの構図を「新・三国時代」と表現しています。誰と誰が組むかで力関係が入れ替わる、流動的な状態ということ。
2016年の補選では麻生・蔵内が組んで武田陣営とぶつかりました。ところがその後、麻生さんと武田さんの距離が縮まっていきます。
となると、余るのは蔵内さん。共通の相手がいたからこその同盟だったとすれば、その相手が消えたときに関係が変わるのは自然な話でしょう。
県連会長という立場である以上、国政選挙のたびに候補者調整で難しい判断を迫られるはず。72歳のいまも、簡単には引けない場所にいます。
100年以上前から続く関係が、いまも福岡県政の力学として生きている。そう考えると、なかなか感慨深いものがありますよね。
蔵内家の家系図をたどって見えてくるのは、家というものの粘り強さ。
炭鉱が閉じても、直系が政治を離れても、名前と人脈は残りました。そこへ外から入った婿が、新しい専門性を持ち込んで看板をかけ替える。
血のつながりだけで続いてきた家ではない、というのが蔵内家の面白いところ。養子の保房さん然り、婿入りの勇夫さん然りです。
必要なときに外から人を迎えて、家そのものを更新してきた一族。150年近く名前が残っているのは、その柔らかさゆえかもしれませんね。
まとめ
- 蔵内家は明治から昭和初期にかけて筑豊で炭鉱を経営し、石炭産出高が全国6位に達した一族
- 蔵内勇夫さんは旧姓・山口で、蔵内修治氏の姪と結婚して婿入りした(血縁ではない)
- 家系図には、実子の修治氏より養子の孫世代のほうが年上という逆転がある
- 家族は妻、長男の謙さん、母の3名で、娘がいるという情報は確認できない
- 2026年4月、日本人として初めて世界獣医師会の会長に就任した
よくある質問
Q1. 蔵内勇夫さんは蔵内家の血筋ですか?
いいえ。旧姓は山口で、蔵内修治氏の姪と結婚して婿入りしました。血縁ではなく婚姻によって蔵内家に入っています。
Q2. 蔵内家のルーツはどこですか?
福岡県築上郡築上町です。炭鉱王と呼ばれた蔵内次郎作が一族の礎を築きました。本邸だった旧蔵内邸が現在も残っています。
Q3. 蔵内勇夫さんに娘はいますか?
公表されている家族は妻、長男、母の3名だけ。娘がいるという情報は確かめられませんでした。
Q4. 麻生太郎さんとはどんな関係ですか?
2016年の補選では麻生氏が長男の選対本部長を務めました。ただ共通の対立相手がいたことによる結びつきという指摘もあり、単純な盟友関係とは言えません。
Q5. 長男の蔵内謙さんは今どうしていますか?
2016年の福岡6区補選に出馬して落選したあと、国政選挙への出馬は確認できていません。
Q6. なぜ「福岡県議会のドン」と呼ばれるのですか?
1987年から10期連続で当選し、自民党福岡県連会長や県議会議長を歴任してきたためです。県政界での影響力の大きさが理由になっています。
Q7. 旧蔵内邸はどこにありますか?
福岡県築上郡築上町大字上深野396です。蔵内次郎作から3代が暮らした本邸で、庭園は国指定名勝。現在は公開されています。
Q8. 蔵内勇夫さんの読み方は?表記が2つあるのはなぜ?
読みは「くらうち いさお」。公式表記は旧字体の「藏内」で、報道などでは新字体の「蔵内」が使われます。どちらも同じ人物を指すもの。
この記事は2026年8月時点で公表されている情報にもとづいています。家族のうち一般の方については、公表されている続柄より踏み込んだ記述は避けました。

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