マイク眞木の家系図がすごい!子供5人と水戸黄門との関係性は?

マイク眞木の家系図がすごい!子供5人と水戸黄門との関係性は?

マイク眞木さんの家系図は、4世代にわたる芸能一家です。

しかも先祖をたどると、水戸黄門の妹の嫁ぎ先にゆきあたります。

この記事でわかること

  • 妻3人と子供5人、孫6人の家族構成
  • 先祖が水戸藩の重臣だったという話の根拠
  • ハーフではないかという噂の真相
項目 内容
本名 眞木壮一郎(まき そういちろう)
生年月日 1944年4月27日(82歳)
出身 東京都港区赤坂
身長 170cm
学歴 青山学院中等部・高等部を経て日本大学藝術学部放送学科卒業
真木小太郎(舞台美術家・衣裳デザイナー)
結婚歴 3回(現在の妻は和田加奈子さん)
子供 5人
6人
1967年のマイク眞木さん
デビュー翌年、23歳の頃。出典:ウィキメディア・コモンズ(『映画情報』1967年2月号・国際情報社/パブリックドメイン
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目次

マイク眞木の家系図と家族構成

妻は3人、子供は5人、孫は6人。

最初の妻は女優の前田美波里さんで、長男が俳優の真木蔵人さんです。

父の代から数えると、4世代が表舞台に立っている一家なんですよね。

家系図の全体像は4世代

まず全体を並べてみます。

世代 人物 肩書き
真木小太郎 舞台美術家・衣裳デザイナー
本人 マイク眞木 歌手・俳優
最初の妻 前田美波里 女優
現在の妻 和田加奈子 元歌手
長男 真木蔵人 俳優
次男 真木勇人 プロサーファー
三男 真木泰人 プロサーファー
長女 眞木花 2002年生まれ
初孫 NOAH ラッパー・サーファー

父親からしてすでに表現の世界の人でした。

舞台美術と衣裳デザインを手がけた真木小太郎さん。

そこから歌手、俳優、プロサーファー、ラッパーと続いていきます。

舞台美術というのは、演劇や舞踊の空間を作る仕事です。

衣裳デザインまで手がけていたとなると、相当に幅の広い方だったのでしょう。

家に模型やプラモデルが並んでいたという話も、この父の影響でした。

つまり子供の頃から、ものを作る現場が身近にあったわけです。

そこで育った人が歌の世界に進み、その子供たちがまた別の道へ。

【事実】子供は5人。長男から四男までと、長女がひとりです。

【不明】ただし四男については、名前が公表されていません。

孫は6人います。

血縁をたどるだけで、これだけの人数が並ぶんですよね。

並べて気づくのが、海との縁の深さ。

次男と三男はプロサーファーで、初孫もサーフィンをしています。

本人もサーフィン好きとして知られていますから、代々受け継がれた形でしょう。

もうひとつ目を引くのが、職業の重なりの少なさです。

父は舞台美術、本人は歌、長男は俳優、次男と三男は競技、孫は音楽。

同じ道をなぞった人が、ほとんどいないんですよね。

ふつう芸能一家といえば、親と同じ分野に進む例が多いもの。

ところがこの家では、全員が違う入り口から表に出ています。

【推測:中】本人の子育ての考え方が影響しているのでしょう。

著書の題名に「粋な不良になれ」と付けるくらいですからね。

住まいについても知られている話があります。

本人は千葉県に生活の拠点を移し、海の近くで暮らしているとされています。

サーフィンを続けられる環境を選んだ、ということでしょう。

最初の妻は女優の前田美波里

【事実】最初の妻は、女優の前田美波里さんです。

長男の真木蔵人さんは、前田さんとのあいだに生まれた実子になります。

最初の妻である女優の前田美波里さん
1967年の前田美波里さん。出典:ウィキメディア・コモンズ(『映画情報』1967年・国際情報社/パブリックドメイン

前田さんは1948年8月8日生まれ。神奈川県鎌倉市の出身です。

父親がアメリカ人、母親が日本人という家庭に育ちました。

幼い頃からクラシックバレエを習い、1964年に舞台デビュー。

名前が全国に知られたのは、その2年後のことでした。

【事実】1966年、18歳で資生堂の夏のキャンペーンガールに起用されます。

「太陽に愛されよう」というキャッチコピーのポスターでした。

小麦色の肌で寝そべる姿が話題になり、ポスターの盗難が相次いだと語り継がれています。

項目 内容
名前 前田美波里(まえだ びばり)
生年月日 1948年8月8日
出身 神奈川県鎌倉市
家庭 父がアメリカ人、母が日本人
転機 1966年 資生堂のキャンペーンガールに起用
結婚 1968年(20歳)
近年 2024年 第49回菊田一夫演劇賞特別賞

2人の出会いも変わっています。

報道によると、ハワイでのロケがきっかけで知り合ったそうです。

そして1968年、前田さんが20歳のときに結婚しました。

結婚後は一時、仕事を離れています。

2人でアメリカを旅しながら、1年半ほどを過ごしたと伝えられています。

その体験が、のちの共著にもつながったのでしょう。

2人はテレビでも共演していました。

1971年10月から1972年3月まで、NHKの音楽番組『ステージ101』で司会を務めています。

夫婦での司会という、当時としても珍しい形でした。

この番組の司会は、関口宏さん、黒柳徹子さんに続く3代目。

看板番組を任される立場だったことが分かります。

共著も出しています。

1971年の『マイク・美波里のアメリカふたりぼっち』という本です。

レコードでも「マイクと美波里」名義の作品を残しました。

その後、2人は離婚しています。

離婚について本人は、気がついたらいなかった、という趣旨のことを語っていました。

報道によれば、蔵人さんが3歳の頃だったとされています。

ただ、関係が途切れたわけではありません。

前田さんは2023年のインタビューで、現在の妻とご近所だと明かしています。

別れたあとも、緩やかにつながっている家族なんですよね。

元妻と現在の妻が近所に住んでいる。

そう聞くと驚きますが、当人たちは自然に受け止めているようです。

前田さんはその後も第一線で活動を続けました。

舞台を中心に、ミュージカル作品へ数多く出演しています。

2024年には第49回菊田一夫演劇賞の特別賞を受けました。

2022年には、資生堂の創立150周年記念CMにも登場しています。

18歳のときのポスターを、56年ぶりに再現するという企画でした。

白いターバン姿での撮影が話題になりましたね。

デビューから60年を超えて、いまも現役。

元夫婦そろって長く活動を続けているのも、珍しいことだと思います。

現在の妻は元歌手の和田加奈子

【事実】現在の妻は、元歌手の和田加奈子さんです。

しかも一度離婚したあとに、あらためて結ばれた再々婚という関係になります。

和田さんは1961年10月28日生まれ。マイクさんより18歳年下です。

大阪府豊中市の生まれで、兵庫県西宮市の育ち。

項目 内容
名前 和田加奈子(わだ かなこ)
生年月日 1961年10月28日
出身 大阪府豊中市生まれ、兵庫県西宮市育ち
学歴 東京芸術大学美術学部彫刻科卒業
デビュー 1985年11月「パッシング・スルー」
代表曲 「夏のミラージュ」「悲しいハートは燃えている」
年齢差 マイク眞木さんより18歳年下

経歴が変わっています。東京芸術大学の彫刻科を出ているんですよね。

在学中にバンドを組み、東芝EMIのコンテストでグランプリを獲りました。

歌手としての代表曲は、アニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌。

「夏のミラージュ」や「悲しいハートは燃えている」などを歌っています。

近年は、この時期の楽曲がシティポップとして再評価されました。

海外の音楽ファンからも聴かれているそうです。

つまり夫婦そろって、歌でヒットを出した経歴の持ち主。

音楽で結ばれた家庭ということになりますね。

興味深いのは、一度別れてから戻っている点です。

離婚したあとに、あらためて同じ相手と結ばれる。

簡単にできることではありませんよね。

【推測:中】互いの距離感を、時間をかけて掴み直したのでしょう。

2度目の妻については、一般女性ということしか分かっていません。

【不明】氏名も職業も公表されていない状況です。

一般の方ですから、そこを詮索するのは控えたいところ。

3度の結婚を経て、いまの家族の形にたどり着いたことになります。

前の妻とも交流が続いているというのが、この一家らしいところですね。

子供は5人!次男と三男はプロサーファー

子供たちの顔ぶれも個性的です。

【事実】長男は俳優の真木蔵人さん。

1990年代から映像作品に出演し、独特の存在感で知られてきました。

父子の共演も複数あります。

1979年には日本電信電話公社のCMで、幼い蔵人さんと一緒に出演しました。

さらに1999年の『救急戦隊ゴーゴーファイブ』でも顔を合わせています。

マイクさんが巽モンド博士を演じた作品の、第41話でのことでした。

20年の間隔を置いて、2度の父子共演を果たしたことになります。

共著も出しています。1997年の『粋な不良になれ!』という本です。

【事実】次男の真木勇人さんと三男の真木泰人さんは、ともにプロサーファーです。

兄弟そろって同じ道に進んだわけですね。

真木蔵人さんは1972年生まれ。父と同じく多才な人です。

俳優のほかに音楽活動もおこない、サーフィンにも打ち込んできました。

父の趣味と職業の両方を、そのまま受け継いだ形ですね。

1990年代には映画やドラマで存在感を示しました。

整った顔立ちと独特の空気感で、独自の位置を築いています。

次男と三男がプロサーファーになった点も見逃せません。

サーフィンで生計を立てるというのは、簡単な道ではないんですよね。

スポンサーの獲得や大会での成績が、そのまま収入に直結します。

それを兄弟2人が選んでいるわけです。

【推測:中】幼い頃から海のそばで育った影響は大きいでしょう。

長女の眞木花さんは2002年生まれ。

マイクさんが57歳のときの子供ということになります。

名前は「はんな」と読みます。

上の兄たちとは、ずいぶん年齢が離れていることになりますね。

マイク眞木さんの子供たち

  • 長男 真木蔵人(俳優)
  • 次男 真木勇人(プロサーファー)
  • 三男 真木泰人(プロサーファー)
  • 四男 名前は非公表
  • 長女 眞木花(2002年生まれ)

孫は6人!初孫はラッパーのNOAH

【事実】孫は6人います。初孫は長男・蔵人さんの息子であるNOAHさんです。

NOAHさんは2010年、ヒップホップの2人組ユニット「EWU」でデビューしました。

当時17歳。祖父も父も表舞台に立つ家に生まれた3世代目です。

2015年1月には俳優としても活動を始めています。

WOWOWのドラマ『ああ、ラブホテル』への出演でした。

現在はラッパーとサーファーとして活動しているとされています。

祖父はフォーク、父は俳優、孫はヒップホップ。

同じ表現の世界でも、選んだ形はそれぞれ違うんですよね。

そこがこの一家の面白いところだと思います。

【推測:中】誰かの後を継げという圧力は、薄い家なのでしょう。

本人が3冊も子育ての本を書いていることとも、つながって見えます。

NOAHさんという名前も、この一家らしいところ。

祖父が「マイク」、孫が「NOAH」。並べると独特の響きがあります。

17歳でのデビューというのも早い部類です。

祖父がソロデビューしたのは21歳のときでしたから、それより若いことになります。

残る5人の孫については、詳しい情報が出ていません。

【不明】年齢も名前も、公表されていない状況です。

5人の子供に6人の孫。合わせると11人になります。

82歳の本人を頂点に、これだけの人数が連なっているわけですね。

娘と孫が同い年で同じ幼稚園だった

この家系図でとくに珍しいのが、世代の重なり方です。

【事実】本人によると、長女の花さんと、長男・蔵人さんの長女は同い年。

しかも同じ幼稚園に通っていたそうです。

つまり叔母と姪が、同級生として一緒に登園していたことになります。

言葉にすると混乱しますが、実際に起きていた話なんですよね。

2002年に長女が生まれたとき、マイクさんは57歳。

すでに孫がいる年齢で、子供が生まれたわけです。

本人もこの点をトーク番組で何度か語っています。

親子というより祖父と孫に見られることが多い、という話でした。

『ごきげんよう』などで披露していたエピソードです。

年齢差を笑いに変えて話せるところが、この人らしいところ。

隠さずに語ってきたからこそ、家族の形も伝わってきますよね。

こうした重なりは、結婚を重ねた家では起こりうるもの。

ただ、実際に同じ幼稚園というのは、なかなか聞かない話です。

送り迎えの場面を想像すると、なかなかの光景ですよね。

祖父が自分の娘を送りに来て、そこに孫もいるわけですから。

長男の蔵人さんから見れば、妹と娘が同級生ということになります。

家系図を眺めるだけでは伝わらない、生活の重なりがそこにありました。

【推測:弱】年齢の壁が薄い家庭だったのかもしれません。

世代の順番より、同じ時間を過ごすことを大事にする感覚ですね。

マイク眞木の先祖と経歴

先祖は水戸藩に仕えた重臣で、徳川光圀の妹と縁続きでした。

本人は1966年の「バラが咲いた」で30万枚を売り上げた歌手です。

82歳のいまも、テレビや音楽の現場に立ち続けています。

先祖は水戸黄門の縁戚だった

家系図でいちばん驚くのが、江戸時代までさかのぼる部分です。

【事実】先祖の真木景信は、水戸藩に家禄三千石で仕えていました。

そしてその妻は、水戸藩初代藩主・徳川頼房の十女にあたる千姫です。

千姫は、徳川光圀の妹にあたる人物。

つまり水戸黄門として知られるあの人と、姻戚の関係になります。

この事実は、テレビ番組『私の何がイケないの?』の検証で明らかになりました。

2015年に放送され、話題になっています。

人物 関係
徳川頼房 水戸藩初代藩主
徳川光圀 頼房の子。水戸黄門として知られる
千姫 頼房の十女で光圀の妹
真木景信 千姫の夫。家禄三千石で水戸藩に仕えた
真木隼人景猶 頼房時代の重臣

家禄三千石という数字にも触れておきます。

江戸時代の武士としては、かなり上位にあたる待遇です。

藩の中枢に近い立場だったと考えてよいでしょう。

藩主の娘を妻に迎えているのですから、当然といえば当然。

婚姻によって藩主家と結びついた重臣、という位置づけになりますね。

徳川頼房は徳川家康の十一男にあたる人物。

つまり家康の血筋に、婚姻を通じてつながっていることになります。

証拠も残っています。

【事実】真木隼人景猶の墓塔である五輪塔が、水戸市千波町に現存しています。

これは水戸市の指定文化財になっているものです。

石碑が実際に残り、自治体が文化財に指定している。

ここまで揃うと、単なる言い伝えでは片づけられませんよね。

本籍地が茨城県水戸市であることも、この縁につながる話。

現在は水戸大使も務めています。

東京都港区赤坂の生まれでありながら、本籍は水戸。

その理由が、400年前までさかのぼる家の記録にあったわけですね。

芸能人の家系がここまで具体的にたどれる例は多くありません。

藩の記録と墓塔という、形のある証拠が残っていたからこそでしょう。

番組で明かされたとき、本人も驚いていたと伝えられています。

先祖の話は家に伝わっていたものの、裏づけまでは知らなかったようです。

水戸大使を務めているのも、この縁があってのこと。

自分のルーツと結びついた土地の仕事、ということになりますね。

フォークシンガーとして名を上げた人が、実は江戸期の重臣の末裔。

家系図をたどると、こういう意外な線が出てくるものなんですよね。

ハーフではないかという噂の真相

「マイク」という名前から、外国にルーツがあると思われがちです。

実際、ハーフではないかと噂されることも多いんですよね。

【事実】本名は眞木壮一郎で、東京都港区赤坂の出身です。

「マイク」は本名ではなく、活動名になります。

【不明】母親が外国出身だとする記述もネット上には見られます。

ただ、確かな一次情報でこれを裏づけることはできませんでした。

公的な経歴の記録にも、そうした記載は見当たりません。

先祖が水戸藩の家臣という話とも、整合しにくいところ。

断定的に書いている記事もありますが、根拠は示されていません。

むしろ噂の出どころとして、はっきりした心当たりがあります。

【事実】最初の妻である前田美波里さんが、父親をアメリカ人に持つ方なのです。

つまり外国にルーツがあるのは、本人ではなく妻のほうでした。

夫婦で並んでテレビに出ていた時期があるため、印象が混ざったのでしょう。

この関係を整理すると、次のようになります。

人物 ルーツ
マイク眞木 日本。東京都港区赤坂の生まれ
前田美波里 父がアメリカ人、母が日本人
真木蔵人 両親の関係から、4分の1がアメリカ系

長男の真木蔵人さんが彫りの深い顔立ちなのも、この流れですね。

祖父にあたる方がアメリカ人ということになります。

【推測:強】活動名の響きと、妻の出自。

この2つが重なって噂が生まれたと考えるのが自然でしょう。

兄弟についても同じです。

【不明】兄がいるという噂もありますが、公的な記録では確認できませんでした。

本人が語っていない部分を、外から埋めるのは控えたいところですね。

バラが咲いたで30万枚のヒット

経歴もたどっておきます。

時期 できごと
1944年4月27日 東京都港区赤坂に生まれる
1963年 モダン・フォーク・カルテットを結成
1965年 日本劇場のフォーク・フェスティバルにアマチュア参加
1966年 「バラが咲いた」でソロデビュー。30万枚超のヒット
1966年 第17回NHK紅白歌合戦に出場
1967年 GSバンドのザ・マイクスを結成
1971年 「気楽に行こう」がCMソングとしてヒット
1997年 ドラマ『ビーチボーイズ』に出演
1999年 『救急戦隊ゴーゴーファイブ』で巽モンド博士役

デビューのきっかけは、アマチュアとしての参加でした。

1965年の日本劇場でのフォーク・フェスティバル。

そこでの姿が音楽出版社の草野昌一さんの目に留まったんですよね。

当初は自作曲でのデビューが予定されていました。

ところが大衆性の面で物足りないとされ、別の曲が選ばれます。

それが浜口庫之助さんの未発表作品「バラが咲いた」でした。

結果は30万枚を超える大ヒット。

同じ年の紅白歌合戦にも出場しました。

この曲には、業界的にも特別な意味があります。

レコード原盤を、レコード会社が音楽出版社に依頼して制作した日本初の例とされています。

いまでは当たり前の仕組みが、ここから始まったわけですね。

自作曲でのデビューを断られた歌手が、他人の曲で歴史を作った。

本人にとっては複雑だったかもしれません。

音楽活動の出発点は1963年でした。

モダン・フォーク・カルテットというグループの結成です。

日本のフォークが広まる前の時期にあたります。

少年時代から音楽に熱中していたことも語られています。

中学生の頃、地元のクラブに演奏に来ていたザ・ドリフターズのファンだったそう。

のちに『ドリフ大爆笑』へゲスト出演した際、本人が明かしました。

父の影響で、模型作りにも熱中していたといいます。

高校3年の頃には、自宅近くのTBSの美術部で特撮のアルバイトをしていたとのこと。

ものづくりの環境で育った人なんですよね。

1971年の「気楽に行こう」も広く知られています。

もとは『ステージ101』のオリジナル曲「のんびり」でした。

それがモービル石油のCMに採用され、題名を変えてヒットしています。

ボーイスカウトの歌集に載る「キャンプだホイ」も、本人の作詞作曲。

世代を超えて歌い継がれている曲ですね。

作詞家としての仕事もありました。

「さよならさよなら」という曲を、坂本九さんに提供しています。

作曲は中村八大さん。あの「上を向いて歩こう」の作曲者です。

1979年から1981年にかけては、子供向け番組にも出演しました。

TBSの『ワンツージャンプ!』で、自身が歌う楽曲を多数発表しています。

2008年からは『Beポンキッキ』にレギュラー出演。

「GGマイク」という愛称で親しまれました。

60代で子供番組の顔になっていたわけですね。

82歳の現在も現役で活動中

現在も活動は続いています。

1997年のドラマ『ビーチボーイズ』では和泉勝を演じました。

海を舞台にした作品で、本人のサーフィン好きとも重なる役どころ。

2013年にはアルバム『OLD SCHOOL』を発売しています。

小学校の同級生から大量の歌詞が送られてきたことがきっかけでした。

作詞と全曲の作曲を、自身が担当しています。

2024年には千葉のご当地アニメ『とーがね!クロニクル』にも出演。

80歳を超えても、新しい仕事を受けているわけですね。

車好きとしても知られています。

かつては「モーター新党」から参議院選挙に立候補した経歴も。

著書も多く残しました。

  • 『ジーンズとポケバイ マイク真木の子育て奮闘記』(1983年)
  • 『親父塾 私のアウトドア子育て奮戦記』(1988年)
  • 『粋な不良になれ!』(1997年・真木蔵人さんとの共著)

並べてみると、子育てをめぐる本が目立ちます。

5人の子供を育てた経験が、そのまま仕事になった形でしょう。

家系図の広がりは、この姿勢の結果なのかもしれませんね。

アウトドアに関する本を出している点も特徴的です。

オートキャンプ場のガイドブックまで手がけていました。

1989年に日本オート・キャンプ協会から出したものです。

「キャンプだホイ」を作った人ですから、自然な流れですね。

歌と子育てとアウトドアが、ひとつにつながっている人生です。

俳優としての代表作も挙げておきます。

  • 『救急戦隊ゴーゴーファイブ』巽モンド博士(1999年)
  • 『ビーチボーイズ』和泉勝(1997年)
  • 『あぶない刑事フォーエヴァー THE MOVIE』津山徹(1998年)
  • 『轟轟戦隊ボウケンジャー』水の都の長老・マギ(2006年)

『救急戦隊ゴーゴーファイブ』は、兄弟戦隊を描いた作品でした。

その父親役ですから、実生活と重なる配役です。

共演者は番組終了後も、実の父親のように慕っていたと語っています。

撮影初期には、共演者と会話をせず怖がられていたそう。

10年間会っていない設定だったから喋らなかった、とあとで明かしています。

役への向き合い方が伝わる話ですよね。

サーフィンをする長男の真木蔵人さん
長男の真木蔵人さん。出典:ウィキメディア・コモンズ(撮影:チョコクリーム氏/CC BY-SA 3.0

まとめ

  • 妻は3人。最初が前田美波里さん、現在は元歌手の和田加奈子さん
  • 子供は5人。長男は俳優の真木蔵人さん、次男と三男はプロサーファー
  • 孫は6人。初孫のNOAHさんはラッパーとして2010年にデビュー
  • 長女と孫が同い年で、同じ幼稚園に通っていた
  • 先祖の真木景信は水戸藩の家臣で、妻は徳川光圀の妹にあたる千姫

父の代から数えれば4世代、先祖まで含めれば400年の記録が残る家。

その中心にいる人が、いまも82歳で現役なんですよね。

この家系図を追っていて、印象に残ったことがあります。

血縁が広がっているのに、誰も同じ職業を選んでいない点です。

舞台美術、フォーク、俳優、プロサーファー、ラッパー。

受け継がれたのは職業ではなく、表に立つ度胸のほうでしょう。

離婚を3度経験しながら、前の妻とも近所づきあいが続いている。

そういう緩やかさも、この一家を長く続かせた要因かもしれません。

水戸藩の重臣から数えて何代目になるのか、正確には分かりません。

それでも家の記録が文化財として残っているのは、確かなことです。

よくある質問

マイク眞木さんの子供は何人ですか

5人です。長男が俳優の真木蔵人さん、次男の真木勇人さんと三男の真木泰人さんはプロサーファー、長女は2002年生まれの眞木花さんです。四男については名前が公表されていません。

現在の奥さんはどなたですか

元歌手の和田加奈子さんです。1961年生まれで18歳年下にあたります。アニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌などを歌った方で、一度離婚したあとに再々婚しています。

本当に水戸黄門の子孫なのですか

直系の子孫ではなく、姻戚にあたります。先祖の真木景信さんが水戸藩に家禄三千石で仕え、その妻が徳川光圀の妹である千姫でした。テレビ番組の検証で明らかになった話です。

ハーフだというのは本当ですか

確かな裏づけは確認できませんでした。本名は眞木壮一郎で、東京都港区赤坂の出身です。「マイク」は活動名であり、その響きから噂が広がったとみられます。

孫のNOAHさんは何をしている人ですか

長男・真木蔵人さんの息子で、マイクさんの初孫にあたります。2010年に17歳でヒップホップユニット「EWU」としてデビューし、2015年にはドラマにも出演しました。

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